門田隆将ファイル 捏造記者の転身から11年

■寛容な日本社会で生き延びる

「門田隆将」という名のノンフィクション作家をご存じだろうか。元「週刊新潮」のデスクをつとめ、2008年に退職。独立後は、日本人の生きざまを体現した人物を描くことをライフワークとし、さまざまな作品を発表してきた。当初はスポーツ分野などが多かったようだが、その後、戦争物、原発事故などに関心を広げる。思想的には朝日新聞を目の敵にし、「日本が嫌いなら日本から出ていけばよい」(趣旨)といったことを平然と新聞紙上で活字にしたりする。あのレイシスト集団・在特会は、コリアンは韓国に帰れなどと公然とデモを行って社会問題となったが、この人物の場合、同じ日本人に対して日本から出ていけといっているのだから、程度はより深刻といえよう。
現在は産経新聞を主体とする媒体や右派文壇誌の月刊「WiLL」や「Hanada」などに寄稿。最近の日韓問題については、韓国との断交、大使引き上げなどの強硬な制裁を主張してやまない。仮に韓国人客を主要取引先としているホテルなどが倒産したら、この御仁は自分のポケットマネーで補償する用意はあるのだろうか。産経新聞などの出版広告で顔写真がよく出るので、その姿を見たことのある人も多いかもしれない。  
この人物には、言論人として、やってはいけないことに手を染めた「過去」がある。「週刊新潮」時代、早くからエース記者として期待されながら、編集長になれずに退社せざるをえなかったのは、その「過去」と密接な関係があったからと言われている。また独立後も、自らの本名(門脇護)を名乗ることなく、ペンネームで仕事をせざるをえなかったのは、「過去」の罪責と無縁ではないようだ。  
日本では過去にどのような破廉恥行為を行っても、時間がたてばいずれ社会的に免責されるというゆるやかな風潮がある。潔癖性に乏しく、すぐに忘れてしまう民族とも形容される。仮に破廉恥行為が、痴漢などの色物沙汰なら、日本社会の記憶にも比較的長く残ったかもしれない。だが言論の世界において、「捏造」などといった行為は、時間がたてば許されてしまうのがこの国の国民性ともいえる。いうなれば、ケジメをつけない民族なのだ。  
そんな曖昧な国民性の土壌のもと、「門田隆将」は生き延びてきた。いまでは右派論壇の「顔」のような振る舞いを見せているが、同人にそのような振る舞いをする資格がはたしてあるのだろうか。

 

■週刊誌「最後の全盛期」に生きた人物

門田隆将こと門脇護(61)が新潮社に入社したのは1983年のことである。配属された先の「週刊新潮」は1956年に創刊され、出版社系週刊誌の中では最も古い歴史を持つことで知られ、最多部数を誇った。この雑誌が部数のピークを迎えるのは86年くらいとされているから、門脇はその全盛期に編集部に在籍したことになる。まだインターネットなど存在しない時代。新聞でやれないことを週刊誌は競って商売のネタにした。新聞批判はその重要な一角だった。同誌は保守系の論調で知られ、当時から朝日新聞社は主要な攻撃対象の一つだった。もともと同人は学生時代は朝日新聞の本多勝一記者の影響を受けていたようなので、保守的傾向を持つに至るのは新潮社入社後、職業的に形成された面が大きいと思われる。
「週刊現代」の編集長をつとめた元木昌彦・元編集長は、週刊誌はこれまで2度の危機があったと書いている。1度目はバブル崩壊後の1992年、2度目は2009年に週刊新潮の始めた「朝日新聞阪神支局襲撃事件の実行犯の手記」が捏造であったと問題になったときだ。
実はこの2度目の危機のとき、門脇はすでに同社を退社していた。その後、週刊新潮の部数は右肩下がりで下がり続け、同人の退社時に70万台あった発行部数は、最近では20万台と低迷している。「廃刊」もすでに秒読みといわれるほどだ。結果的に、門脇はもっとも「よい時代」に編集部に在籍し、もっとも「よい時代」に会社を辞めたことになる。

 

■自己顕示欲の旺盛な人格

毎年8月になると決まって似たような報道に接する。8月15日だけでなく、8月12日もそうだ。この日は1985年に日航機墜落事故が起きた日で、ことしは34年の節目となった。このニュースを見て、門脇が週刊新潮記者時代に、週刊誌記者として一番乗りで現場に駆け付けたという逸話を思い出した。当時、同人は入社3年目。仕事もある程度覚え、どこが「現場」となっているかまだわからない状況からフットワーク軽く現地に向かい、取材記者としての成果をあげたということだろう。
その後、編集部内でデスク、副部長と昇進した同人は、酒の席なると必ず自慢話を始め、この逸話を繰り返したとされる。同人の口癖は「あれもオレのスクープ、これもオレのスクープ…」といった具合で、自分の過去の実績を誇示し、同席した者をへきえきさせる面があったらしい。本人に悪気はないのかもしれないが、ある種の行動力に裏付けられた旺盛な自己顕示欲が、同人の人格の一部をなしていることは疑いようがない。そのため当時の編集長の意向も手伝ってか、スクープをものした反面、多くの「誤報」も生み出した。ともあれ、当時の話はいったん置いておく。
同人の2008年退社後、朝日新聞が慰安婦問題で誤報を認め、謝罪した事件がおきたとき、日本の言論人で、朝日新聞の廃刊まで声高に唱えた言論人が2人いた。「櫻井よしこ」と「門田隆将」である。
この2人は櫻井が執筆する「週刊新潮」の連載記事を担当した時代からの腐れ縁だが、朝日新聞という新聞界の権威に真っ向から挑み、相手の敵失に乗じて必要以上の制裁論を振りかざすというスタイルは、同人の人格特性から来るものと感じられてならない。一言でいえば「居丈高(いたけだか)」な人格ともいえる。
そうした特性は文体にも顕著にあらわれている。同人が最近出した『新聞という病』という新書では、「~させてもらう」といった表現がしばしば登場する。謙虚な人間は「~させていただく」と表現するはずのところを、彼の場合は読者よりも一段上の高みに立った場所から、明らかに見下すような言葉になってしまう。しかも本人がそのことに気づいていないと思われるところがミソだ。隠そうと思ってもおのずとにじみ出てしまう人格特性の証左といえよう。
自己顕示欲が強く、居丈高――。そうした特性は、現在の「右派論壇」における行動においていやおうなく発揮されている。

 

■本名で活動できない真の理由

この人物の週刊誌記者時代の犯罪的行為を振り返るには、1990年代という時代状況を踏まえることが必要だろう。戦後政治的に最もリベラルとされた時代、日韓関係も今では想像できないくらいに良好だった。バブル崩壊後の余波で景気もそれほど悪くなかった。まだインターネットも定着していないころで、紙媒体である出版社系週刊誌からすると「最後の全盛期」といったところだろう。かつ政界も大きく変動した。
93年の総選挙では、自民党が下野し、野党連立政権が出現。公明党もその一翼を担った。その政権はすぐに崩壊することになるが、いったん与党入りした公明党の支持基盤である創価学会は、世間の格好の注目対象となり、週刊誌にとっては売上に貢献するネタとなった。90年代初頭は「週刊文春」が、さらに競合するように「週刊新潮」が追随した。その新潮編集部において尖兵の役割を果たした記者が門脇だった。
自己顕示欲が強く、社内でも早くから突出していた彼は、当時の編集長の松田宏に気に入られ、多くの捏造記事に手を染めることになる。1994年には北海道の創価学会地区部長の男性が遭遇した交通事故を題材に、事故の被害者をあべこべに加害者に仕立て上げた記事が掲載された。裁判沙汰になり、門田側が敗訴した。さらに95年には東京・東村山市で起きた女性市議転落死事件にからみ、これまた根拠のない教団謀殺説に乗せられた門脇の記事は裁判沙汰に。当然ながら門田側が敗訴した。
さらに96年には、函館市のならず者夫婦の虚言に飛びつき、池田名誉会長を犯罪者呼ばわりするキャンペーン手記を手掛けた。この事件は、ならず者夫婦が起こした民事裁判が裁判所によって「事実的根拠に乏しい」と相手にされず、結局、捏造手記であったことが司法において確定した。
この事件については、2冊の書籍が本質を浮き彫りにする。『言論のテロリズム――週刊新潮「捏造報道」事件の顛末』(2001年)と『判決 訴権の濫用――断罪された狂言訴訟』(2002年)がいまもネット上で手に入る。
問題は、門脇がこの事件を単に取材したにとどまらず、手記を成立させるため、ならず者夫婦に民事訴訟を起こすことを具体的に働きかけ、それで自分のスクープ性を高めるように行動したことだろう。要するにこの事件は、自己顕示欲の強い週刊誌記者が、いいように乗せられて手掛けた「自作自演」の捏造記事にほかならなかった。
門田隆将こと門脇護は、ジャーナリストとしてやってはいけないことに手を染めた。そのため社外だけでなく社内でも問題となり、結局、早くから編集部内で期待される存在であったにもかかわらず、編集長への昇進の道は事実上閉ざされた。当時、自業自得という声は多かった。さらに「門脇護」という実名も、捏造に手を染めた問題記者として知られるようになった。そのせいか、同人の独立後に本名を使用することも回避せざるをえなかったようだ。

 

■取材もしないで訳知り顔で発信

筆者がこの門田隆将という人物と初めて空間を同じくしたのは2014年11月のことだった。場所は靖国神社の遊就館の一室。日本会議の活動母体ともいわれる日本青年協議会が主催した講演会をたまたま覗いたのがきっかけだった。この日の演題は「大東亜戦争を戦った日本人の気概」。
ここで門脇は、東電原発事故の吉田昌郎所長の取材にたどりついた裏話などを披露するとともに、いつもながらの朝日批判を展開し、「なんで事実を捻じ曲げてまで、日本と日本人を貶めたいのですか」などと述べていた。その上で慰安婦問題にも言及し、「ありもしない強制連行」「強制連行というのは、無理やり女性を戦場に連行したら拉致、そして慰安所に閉じ込めたとしたら監禁、そして意に沿わない性交渉を強いたら強姦、朝日新聞は日本だけが悪い論を掲示するたびに、日本人は拉致・監禁・強姦の加害者であると書いた」などと、まるで新聞が事実と無関係なデマを書いているとばかりに発言した。
当時、私は慰安婦問題についてたまたま取材を始めており、突然出てきたこの発言を注意深く聞いたが、結局、この人物は「取材者」でありながら、何も取材しないで勝手なことを述べているだけだということがよく理解できる機会となった。
なぜなら門脇のこの発言は、対韓国を前提に語られているものの、少しでも慰安婦問題を取材した経験のある者なら、門脇の定義した旧日本軍による「拉致・監禁・強姦」は、中国大陸やフィリピン、インドネシアなどでは「実際にあったこと」として、すでに確定している事実だったからだ。
日本軍は明確に、拉致・監禁・強姦を行っていたのである。結局、韓国でそのようなケースは未確定なだけで、ことさら問題を矮小化するために、話をはぐらかせている行動としか思えなかった。
以上はエピソードとしての一例にすぎない。歴史的経緯を含む重要な社会的テーマについて、自身できちんと取材したわけでもないことを訳知り顔で語る態度は、この人物の特徴である。自己顕示欲が強く、功名心旺盛で、目立ちたがり屋――。まともに「取材」もせずに正確な事実ともいえないことを平気で語る姿は、いまも変わらない。しかも自分たちの特殊なイデオロギーを背景にしているので、余計にやっかいだ。

 

■「あおり屋」として生きる

言葉は勇ましいほうがよく響く。「あいつは舐めている」「やっつけろ」。そこにあるのは単なる感情次元のレベルである。子どもの喧嘩ならそれでもよいだろう。だが大人の関係、はては国家間の関係においても同じレベルで文章を書いている人間は困りものである。
昨年10月、韓国が戦中の徴用工問題をめぐり、日本企業の賠償を求める判決を言い渡した。直後に「韓国と断交せよ」と勇ましい“進軍ラッパ”の文章をブログに掲げたのが門田隆将こと門脇護だった。そこには次のような文章が並べられていた。
「韓国との外交関係をはじめ、すべてが途絶する準備を始めるだけでいい」
「『日本が舐められている』からこそ、起こっている現象」「『断交』に向かって準備することが肝要」
翌月にはさらにエスカレートした。
「日本がソウルに置いている日本大使館を閉鎖し、駐韓大使を召還するだけでいい」
彼のこれらの主張のバックボーンにあるのは、日本は韓国に舐められているという私憤にあるようだ。その根拠の一つとしてあるのが、日本は韓国から「世界中で慰安婦の強制連行という虚偽の史実を広められ」ているとの認識である。
主張は勇ましいが、その行動の起点になっているのは自身のちっぽけな感情。結局、この人物には韓国にいる4万人の邦人のことなど眼中にもないようだ。ただただ自身の感情、プライドだけが問題なのだ。一介の物書きならそれでもよいだろう。しかし、一国を背負う政治家がこんな低次元なレベルで動いてしまっては、国に災いをもたらすことは明らかだ(すでにそうした事態が進行しているようにも感じられる)。
逆に韓国と冷静に話し合おうとする日本人が出てくると、彼の筆は「媚韓派」などのレッテルを張って、見下すことも常態化している。結論からいうと、門田隆将こと門脇護は、単なる「あおり屋」にすぎない。
「舐められているからギャフンといわせたい」――。ただそれだけでペンを振るっている人間と見られても仕方のないレベルである。
その背景にある動機なるものも、実際はファクトともいえないデマである。なぜなら旧日本軍が占領地などにおいて、若い女性を「拉致・監禁・強姦」した事実は、史実としてきちんと残っているからだ。これでは反省していないと思われるのも無理はない。
門田隆将のような「あおり屋」が跋扈する社会は、やはり異常そのものだ。

 

■「三流日本人」としての言動

この人物が最近煽っているフレーズの一つが「内なる敵」という用語である。
驚くなかれ、これは同じ日本人に向かって発している言葉である。どういうことか。
同人の認識を意訳すると、韓国人はウソをいいまくる困った民族であり、その矛先が日本に向けられ日本の国益を侵害している、ケシカランといったものだ。そのため韓国は「学習させる」(2018年12月29日付ブログ)べき対象であり、「日韓断交に踏み切るべき」(同年12月1日付)と公言してはばからない。
逆にそうした主張に同調せず、「静観する時期」などと冷静な意見を述べようものなら、門田から「日本にいる『内なる敵』こそ真の敵」(同)といった言葉で攻撃されることになる。
要するに、自分の意見と同調しない者には「非国民!」と言いたいわけだ。 そこから見えるのは、自分の意見に従わない者はことごとく「敵」という矮小かつ増長した精神性である。それらは極めて排外的、独善的な振る舞いにしか映らない。
そもそも同人の主張する「日本は『拉致・監禁・強姦国家である』という誤った認識が定着」(2018年11月21日付)、「ありもしない『強制連行』」(2019年1月5日付)などといった歴史問題に関する認識自体が、ファクトに基づかない、デマそのものだ。  
ことし5月に同人が発刊した『新聞という病』という新書がある。読んでみればわかるが、中身は偏向そのもので、異論を受けつけない姿勢がはっきりしている。朝日新聞には「この国から出ていけ」とまで示唆する。さらに内容的にも深みがなく、スカスカだ。
平たく説明すれば、朝日と毎日は日本を貶めている新聞だからケシカラン、産経だけが正しい唯一の新聞といったもので、まるで産経のエージェント(代理人)として執筆しているかのような代物である。それでも一定程度売れるというのは、いまの日本社会に根付いている「国民的熱狂」の賜物だろう。
(1) 他者との共生の姿勢からほど遠く、異なる意見を真っ向排除(自己チュー)
(2) 高みから見下す傲慢な姿勢
(3) 平気でデマを利用する
(4) 過去に大量生産した捏造記事の責任をとらない(頬かむり)
いずれも武士道の精神を帯するはずの日本人の平均的感覚すると、とても「一流の日本人」とは見なせないものばかり。人間としても三流であろう。そんな人物が「一流づら」して跋扈している現状こそ、現代の病巣に思える。

 

■「毅然とした生き方」と正反対の生き方

「週刊新潮」に在籍した25年間、多くの捏造記事を量産し、札付きの記者として知られてきた門田隆将こと門脇護。取材した事実を正確に記事にするのではなく、雑誌の売り上げのために特定の角度を付けて料理し、結果的に多くの失敗を積み上げた。
社内の評価を上げるためには何でもやった。レイプ被害を訴える高齢女性の主張を、裏付けも取らずに、キャンペーン化。後ほど判明するが、特定の意図をともなった虚言に乗せられただけだった。だがそのペンを振るった本人は、悪びれる様子もなく、ついぞこの事件で反省の弁を口にすることもなかった。
「捏造記者」の転身は2008年――。同人のツイッターの紹介文には、「毅然と生きた日本人」をテーマにノンフィクション作品を執筆と書かれている。だが執筆している本人の生きざまは毅然としているのだろうか。記者としてやってはいけない行為に手を染め、多くの虚報を世にばらまきながら責任を取らない姿勢。
それはまるで旧日本軍が中国大陸で、南京大虐殺、拉致・監禁・強姦など多くの無法行為に手を染めながら、戦後、総体的になんら責任を負おうとしなかった無責任な体質と瓜二つに思える。そのどこに「毅然たる生き方」が存在するのだろうか。単なる「卑怯者」の生き方ではないか。
いまその「卑怯者」は、我こそが日本人の代表とばかりに、まるで日本国を背負ったかのような態度で言いたい放題の言動を続けている。分を知ることを美徳とする生き方とはかけ離れ、とことんまでつけ上がって恥じない態度。その醜悪な姿に、自分ではまったく気がついていない様子である。

 

【2019年9月2日掲載】