【『月刊潮』2005年3月号】

戦後史における「創価学会報道」の謀略性⑤

捏造された「東村山デマ事件」の真相。
~捜査を拒否し、無根拠な“煽動”発言が繰り返され、デマ報道は拡散された。

偏向報道の“発信源”

 

 1995年秋、あの一連の“空騒ぎ”はいったい何だったのだろうか。9月1日夜、東村山市で起きた女性市議転落死事件をめぐる異様な“集中報道”のことである。

 

 週刊誌や夕刊紙、はてはテレビ局までが、創価学会の関与をにおわせるような報道を繰り返した。同年春に発生した地下鉄サリン事件の実行犯・オウム真理教にかこつけ、政権与党を脅かす存在になっていた新進党の支持団体の一つ、創価学会を叩くための政治的意図と結びついて出てきた“歪曲報道”といえた。だが、警視庁東村山署は95年12月、「事件性は薄い」と断定。97年4月には東京地検も「自殺の疑いが濃厚」との最終結論を発表した。

 
 事件から10年すぎる現在、多くが裏付けを欠いた報道だったことがその後の裁判でも明らかになっている。学会側が訴えたものだけでも、『週刊現代』『週刊新潮』2誌のほか、転落死した女性議員の同僚らが発行するミニコミ誌『東村山市民新聞』が名誉毀損で断罪された。


 ほかにも多くの裁判が発生したが、“学会謀略説”なるものはことごとく否定された。当時の一連の報道を検証してみると、これらを意図的に「煽動」した存在もおのずと明らかになる。


 一方の主役は、当時、女性市議が所属し、現在も東村山市議をつとめる矢野穂積、朝木直子ら「草の根」グループである。さらに創価学会を叩けるネタであれば、「事実」と関係なくホイホイと乗ってしまうことで有名な“元学会員”の「自称ジャーナリスト」乙骨正生も登場する。


 振り返ると、転落死事件の発端は、すべては死亡した朝木明代市議(当時)が引き起こした「万引き事件」に尽きていたといえよう。


 既成政党を批判して支持を拡大してきた矢野ら「草の根」グループにとって、2期連続でトップ当選するほどの“看板的存在”だった明代の万引き事件が「事実」のものとして確定してしまうことは、明代自身の議員辞職はおろか、同グループが“壊滅的打撃”を受けることを意味していた。そのため矢野らにとっては、この事件は「万引き事件を苦にした自殺」であることは許されず、あくまで「何者かによる他殺」でなければならなかった。

 

 その端的な事実は、明代の死亡が確認された9月2日の早朝、矢野が乙骨に真っ先に伝えた次の“断定的”なメッセージに象徴されよう。


 「朝木さんが殺されました」


 矢野らはその後も多くのメディアに同様の“意図的リーク”を繰り返し、創価学会の関与を口にした。むろんこの時点で警察はおろか、自殺か他殺かといったことを確定していた者はどこにもいない。捜査の初動段階で、市議会議員という「公職」にある者が、何の客観的な証拠もなく、“意図的”な発言を繰り返していたのである。それでいて後述するように、彼らは警察の捜査には協力しようとはしなかった。


 捜査機関や多くの裁判によって否定され続けてきた現在も、彼らはその主張を変えてはいない。理由は明白である。「事実」を「事実」として認めることは、自らの立場を危うくしてしまいかねない。つまり、その後の歪曲報道の流れは、矢野らの意図的な“ミス・リード”によって始まったといっても過言ではない。


 乙骨は、この悪質なネタに飛びつき、多くのメディアに拡散する“協力者”の働きを演じた。自身のジャーナリストとしての実績づくりに最大限利用し、矢野らの主張に“歩調”を合わせた。


 そうした「煽動」の結果、多くの“無実”の犠牲者が生まれた。彼らが“濡れ衣”をかぶせる格好の対象として選んだのが、明代が過去盛んに追及を行ったことがあり、時節柄問題にしやすかった創価学会である。さらに万引き犯を突き出したにすぎない洋品店主らはいつの間にか「創価学会員」にされ、事件を捜査した警察は「ずさんな捜査」などと批判された。その後も矢野らは多くの裁判を提起し、洋品店だけでなく、捜査官、救急隊まで訴えたが、いずれも敗訴してきた。


 朝木明代は87年4月、東村山市議会議員選挙で初当選した。41歳。当時、『東村山市民新聞』の編集長として明代の“後方支援”に専念していたのが、38歳の矢野穂積である。

 

「ウソ」に「ウソ」の上塗り

 

 95年4月、「草の根」から初めて3人を擁立した。明代は3期目の選挙をトップ当選で飾る。娘の直子は20代の若さを生かして初当選。もう一人の挑戦者の矢野は、次点で涙をのんだ。このとき、直子が突然当選を返上し、“経験豊かな”矢野を繰り上げ当選させた行為が「議席譲渡」問題として、最高裁の判断を仰ぐまでの“大事件”に発展する(最高裁は議席譲渡は「無効」と判決)。


 その後、明代が東村山駅近くの洋品店で“万引き事件”を起こしたのは同年6月19日。店主の妻が万引きを「現認」し、外まで出ていって追及したところ、明代の背中のほうから1900円のTシャツがポトリと地面に落ちた。明代は逃げるようにその場を立ち去ったが、店主の妻は目撃者の勧めもあり、被害届けを提出した。

 

 警察の事情聴取を受けたのは6月30日。以後、7月4日、同12日と計3回の取り調べが行われた。当初から明代は「事実無根」と主張したが、「確かなアリバイがある」と述べたのは2回目から。明代は万引きがあったとされる時間、同僚の矢野とともにファミリーレストランで遅い昼食をとっていたと主張し、店から取り寄せたレジジャーナルを証拠として持参したが、警察が調べてみると、料理を注文した時間、食べたランチの内容など、明代の主張はいずれも「虚偽」だったことが判明。他人のものをアリバイとして流用していたことが発覚した。

 

 最後の事情聴取となった7月12日。アリバイ工作がバレたことを知った明代は、「調書にサインしてください」と促す係官に、「今日の調書はなかったことにしてください」と最後の抵抗を示した。だが、東村山署は悪質事案として、同日中に東京地検八王子支部に書類送検。“万引き事件”は翌日の朝刊で一斉に報じられることになった。捜査責任者だった千葉英司副署長(当時)は民事裁判(99年11月15日)でこう証言している。

 

 代理人 軽微な犯罪だと思うんですがこれを送致した理由は何ですか。
 千葉 まず市議であるということ、否認をしているということ、他人のレシートを使ってアリバイを主張した。加えて、被害者(※洋品店)に対する悪質な行為が繰り返されております。
 代理人 悪質な行動というのは何ですか。
 千葉 お礼参り的な行動をしております。
 代理人 どのようなことをしたんですか。
 千葉 まず、店に行きまして、店主がいないかということで、何度も店へ訪ねております。訴えると罪になるぞという趣旨も申し向けているようであります。その後も同様のことが繰り返されております。
            ※
 要するに、軽微な事件ではあったが、公職にある者が、複数の目撃者がいるにもかかわらずそれを認めず、逆にウソのアリバイを示し、しかも告発した「被害者」である洋品店に“お礼参り”的な嫌がらせを繰り返したことで警察は「悪質」と判断した。いずれにせよ、市議会議員に関する疑惑だっただけに、捜査は証拠に基づき、慎重に慎重を期して行われたことは間違いない。

 

 だが、矢野・明代らは、デッチ上げによる「冤罪」説を声高に主張。矢野らの言い分を鵜呑みにしたメディアの中には、「事件には不自然な点が多い」(週刊朝日)と書くところや、『週刊新潮』のように“替え玉”陰謀説を紹介するところまで出てきた。

 

 そうして検察庁(八王子支部)への出頭を4日後に控えた9月1日夜、転落死事件は発生する。

 その日、矢野と明代は、東京・表参道の青山病院に入院していた元東京地検検事出身の弁護士のもとに足を運び、2時間かけて「対策」を練った。当時、検察庁は明代が万引きを認めて謝罪すれば不起訴、否認すれば起訴する方針を固めていたという。“転落死事件”はその「対策」からわずか6時間後に発生した。

 

捜査に「協力しない」人々

 

 現場は東村山駅前のビル。飲食店やパチンコ店がまだ開店している時間だった。午後10時ころ、キャーという女性の悲鳴とともに、ドスンという音を周囲の人が聞いた。30分後、ビルの一階に入っていたハンバーガーショップの店長が倒れている明代を発見。話しかけると、まだ意識があった。

 

 「大丈夫ですか」
 「大丈夫」
 「落ちたのですか」
 「違う」(首を振りながら)
 「救急車を呼びましょうか」
 「いいです」

 

 このとき明代の身元は判明していない。救急車で搬送された先は、車で10分ほどの防衛医大病院。2日未明、死亡が確認され、東村山署で死体検案が実施された。立ち会った副署長の千葉は、午前4時45分すぎ、矢野や直子の協力をえて、死亡者が明代であることを確認した。矢野が乙骨に電話するのは、それからわずか1時間後の「午前6時」のことである。


 「朝木さんが殺されました。東村山駅前のビルの上から突き落とされたようです」


 不思議なことに、「殺された」と主張したのは、発見当時まだ意識があり口のきけたはずの朝木明代本人ではなく、当事者でもない同僚の矢野穂積だった。ここに事件の“核心”がある。


 だが、初動捜査を指揮したベテランの千葉らは、現場で争った形跡がないこと、ビルの真下に落ちていること(突き落とされた場合は放物線を描くため真下には落ちない)、五階の踊り場の手すりにぶら下がった跡が残っていたことなどから「事件性は薄い」と判断。警察だけでなく、検察、死体の専門家である検死官などの意見も一致した。

 

 一方、矢野らは“他殺説”を強硬に主張しながら、不思議なことに、警察による「草の根」事務所や明代の自宅への捜査要請を「拒否」した。

 

 そればかりか、東村山署が当日の状況などを聞くため遺族らに事情説明を求めても出頭せず、矢野は事件翌月の10月7日になってようやく現われた。それでも、事件当夜、「胸騒ぎがする」などといって車で自宅に駆けつけてきた娘の直子が説明に訪れることはついになかった。


 「殺された」と主張しながら、肝心の警察捜査に協力しない≪事実≫は何を意味するのか。それでいて、マスコミに対しては「他殺説」を煽るだけ煽った。彼らの目的は“事実解明”にあったわけでなく、別のところにあったと見られても仕方あるまい。

 

「偽証」して恥じない市議

 

 矢野からの急報を受け、乙骨はすぐに行動を開始したようだ。取るものもとりあえず現場にかけつけ、『週刊新潮』デスクの門脇護宅にも一報を入れている。多くの週刊誌も動き出し、その後矢野らの陣取る「草の根」事務所は取材者であふれ返った。掲載誌を一覧してみよう。

 

 〇東村山女性市議「転落死」で一気に噴き出た「創価学会」疑惑(週刊新潮・9月14日号)

 〇反創価学会女性市議の「怪死」(週刊文春・9月14日号)

 〇反創価学会の“闘士”女性市議が異常な「転落死」(週刊宝石・9月21日号)

 〇反創価学会“闘士”に次々、奇怪事件が(週刊ポスト・9月22日号)※段勲の署名記事

 〇夫と娘が激白! 「明代は創価学会に殺された」(週刊文春・9月23日号)

 

 なかでも悪質だったのは、『週刊現代』である。明代の夫と娘のコメントを借りた形で、「創価学会に殺された」と断定する見出し記事を掲載した。それでいて本文では、「創価学会が朝木さんを殺したという証拠は何ひとつない」などと書いていたのだから、“羊頭狗肉”の典型である。

 

 翌日、学会は発行元の講談社と明代の遺族らを相手取って、名誉棄損による損害賠償請求の裁判を起こした。

 

 この裁判の過程で、朝木の遺族らは“意外”な主張を始める。事件当時、取材対応は矢野穂積に一本化されていて、夫の大統も娘の直子も、『週刊現代』の取材を一切受けていないなどと主張し始めたからだ。裁判が始まって1年以上すぎてからの“不可解”な主張に、いちばん戸惑ったのは講談社関係者だったろう。講談社の準備書面にはこう書かれている。

 

 「いかに虚偽を積み上げても、自己に有利な展開を実現させさえすればよいとする被告朝木らの訴訟行為には、被告講談社としてはただただ絶望を感じざるをえない」

 

 裁判では、大統を取材したK記者、直子を取材したN記者が法廷で証言し、取材後作成された「データ原稿」を証拠として提出。その結果、1審、2審とも、朝木らが『週刊現代』の取材を受け、記事中の発言をした事実が認定され、2002年10月、最高裁で確定した。

 

 判決文は、取材を受けていないと主張した「直子の証言及び供述は信用することができない」(1審判決)と断罪し、2審でも、大統の証言について「にわかに措信し難い内容」と退けた。要するに、朝木直子らは、『偽証』を働いたと裁判所は認定したわけである。

 

 確定判決は、講談社、M編集長(=掲載当時)、朝木らに200万円の損害賠償とともに、謝罪広告を命じる厳しい内容となった。

 

 ほかに学会側が提訴していた『週刊新潮』『東村山市民新聞』も、それぞれ200万円の損害賠償の支払いが命じられた。

 

 『週刊新潮』(9月14日号)の記事を執筆したのはここでも「門脇護」(現・副部長)である。門脇は前年の白山名誉棄損事件につづき、悪名をはせる結果となった。