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ジャーナリズム関連 執筆記事 3

【『月刊潮』2004年10月号】

創価学会報道をめぐる週刊誌メディアの“虚構性”。

〜4件の名誉毀損裁判で敗訴したコメンテーター。それでも起用し続けるメディアの罪。

■コメンテーターの致命的欠陥
 7月の参議院選挙が終わって、幾つかの週刊誌が創価学会をめぐる特集記事を掲載した。その中で目についたのは、ジャーナリストとして致命的欠陥を持つことで知られる“自称ジャーナリスト”の乙骨正生(48)を、いまだ性懲りもなくコメンテーターとして使う媒体が存在したことだろう。一例をあげると、『週刊現代』『週刊新潮』『週刊ダイヤモンド』などだが、これらは、日本における創価学会報道の貧困ぶりをよく示している。
 乙骨正生は、94年1月、「創価大学出身ジャーナリストが朝日論説委員を叱る」という大層な見出しを掲げた『週刊文春』記事がきっかけでデビューしたとされる。以来、反創価学会記事へのコメント提供をはじめ、幾つかの雑誌メディアなどに寄稿したこともあったようだ。だが、この人物には「ジャーナリスト」と称するにはあまりに致命的な欠陥がある。一言でいえば、「事実を書けない」ということである。
 ジャーナリストとして最も重要なはずの「事実」をないがしろにする習性をもったまま、それを捨てさることができない人物なのである。
 このことは彼の“特殊な前歴”とも深く関係している。乙骨は大学卒業後、小さな業界紙で10年ちょっと修行を積んだ。「継命」という月2回刊の宗教新聞で、発行母体は日蓮正宗から内部分裂した小さな宗派。もともとは“依頼主を恐喝して資格を失った元弁護士”山崎正友の肝入りで始まった新聞とされる。乙骨はそうした宗教機関紙で創価学会問題などの記事を担当してきたという。要するに創価学会のアラ探しをメシの種に“修行”を重ねてきた。
 事実かどうかの裏付けの有無より、叩けるネタであればすぐに飛びつく。当然、取材の詰めは甘い。結果として事実とかけ離れた記事を“書き飛ばし”てきた。いわば記者としての最低限のモラルを身につけないまま世に出てきた“ガセネタ屋”なのである。
 乙骨のジャーナリスト資質の「欠陥」を示す例は事欠かない。一つは95年の東村山女性市議の転落死事件をめぐる対応であろう。さらに“謀略の典型”となった信平狂言事件において、「真相」が明るみになる以前から、信平側に一方的に加担してきた事実がある。
 前者においては具体的な裏づけもないままに、まるで転落死に学会が関与していたかのように“ミス・リード”。結果的に、『週刊新潮』に200万円もの損害賠償を発生させる因をつくった。警視庁は当初から「事件性は薄い」と判断してきたが、乙骨は、自身の取材内容をスリ替えてまで都合のよい結論を導き出そうとした。ジャーナリストとして絶対にやってはならない「誘導」を行っている。その“成果”が、友人の転落死を踏み台に念願の自著出版を果たした『怪死』(1996年)である。
 一方、後者においては、“狂言”の当事者である信平信子の記者会見で「司会役」を務めるなど、およそ客観的な立場からかけ離れ、一方に偏する姿勢を当初から明確にしてきた。信平夫婦の訴えが「訴権の濫用」などと却下されたあとも、信平の言い分は正しいと「思っている」(2000年12月)と法廷で証言する有り様。だが、その裏づけとなる客観的な根拠は存在せず、示すこともできない。要するにこの男にとっては「事実」よりも、創価学会を貶めることのほうがより重要なのである。
 乙骨のいい加減な事実確認と、偏った取材姿勢の結果は、すでに4件の名誉毀損裁判で「完敗」し、合計250万円もの賠償金支払いを命じられている事実にも象徴されよう。
 司法の場でこれほど「ジャーナリスト失格」の烙印を押され続けている人間も珍しい。
 どのケースも、基本的な「裏づけ」さえとっていれば問題とならなかったものばかり。つまり、創価学会を叩きたいという意欲だけが先行し、肝心の事実検証を疎かにした結果、「同じ失敗」を繰り返してきたわけである。およそ「学習能力」に欠け、これで「ジャーナリスト」と称されては、まともな同業者は迷惑千万であろう。この男は「ジャーナリスト」などと呼べる代物では決してなく、単に一業界記者の「延長」を演じているに過ぎない。
 最近は出版マスコミもこの男の“欠陥”に気づき始めたのか、乙骨に署名原稿を書かせなくなった。半面、都合のいいコメントを吐き出す“便利屋コメンテーター”としての使い道は残っているようだ。だがこの男には、他人のコメントを勝手に「捏造」するという、およそ「ジャーナリスト」としては信じられない過去の“前歴”もある。
 乙骨が自分の署名入り記事で他人のコメントを捏造するという驚くべき事実が発覚したのは、94年10月14日号の『週刊ポスト』。学会批判記事の中で、ロサンゼルス・タイムズ紙の宗教欄担当記者、ジョン・ダーツ氏のコメントをデッチ上げていた。実際は本人に取材もしていないのに、ダーツ氏が「創価学会が日本で問題のある宗教として話題になっている」とコメントしたように記述。ダーツ氏は、乙骨なる人物の取材を受けたこともなく、そのようなコメントを出した事実さえなかった。

■コメント捏造‥‥裁判で問われた資質
 このときの舞台は米国ロサンゼルス。だが、翌95年1月1・6日号の『週刊ポスト』記事でも、取材相手のコメントを捏造した事実が発覚した。舞台はスペイン。
 このときはさすがにコメントを捏造された本人が『週刊ポスト』の編集長に内容訂正を求める抗議書を送付し、国際問題に発展した。
 いずれも、自分にとって都合のいい結論に“誘導”するためにコメントを「捏造」したケース。ジャーナリストとして、絶対にやってはいけない行動を平気でとって恥じない男。げに怖ろしい「ジャーナリスト」がいたものである。
 この男の“職業能力の欠陥”は、やはり20代から30代にかけて在籍した「継命」新聞時代に培われたものといわざるをえない。
 「継命」の第三代編集長となった羽柴増穂は、『内部告発〜正信会と「継命」の実態』(1982年)なる書物の中で、「『継命』にとって、もっとも欠けていると思われる文章の基本」として、次の点を真っ先に挙げている。すなわち、「どんな記事でも、必ずそのウラをとり、事実を確認した上で書くこと」――。
 ジャーナリストとしての当然の姿勢を述べているにすぎないが、裏を返せば、編集長がこうした指摘をせざるをえないほど、“ウラを取らず、事実を確認しないで書く”いい加減な態勢の中で乙骨が育ったことを示している。その証拠といえようか、この男は「継命」時代のネタをその後も繰り返し使い、裁判で厳しく“断罪”される皮肉な結果を生んでいる。
 乙骨が4件の訴訟ですべて「敗訴」していることはすでに述べた。それぞれ、@北新宿「地上げ」デマ事件A北海道墓苑デマ事件B「身延の脱税」をめぐるデマ事件Cラダクリシュナン博士「人違い中傷」事件――とでも称しておく。
 いずれも取材のイロハを欠いた杜撰な内容だが、中でも『週刊新潮』に掲載された@の記事は、乙骨が寄せたわずか25行のコメントに対し、100万円の損害賠償が命じられたことで注目される。というのも、そもそも記事で指摘された創価学会による「地上げ」という事実が存在せず、『週刊新潮』いうところの「ダミー企業」も存在しない。いわばすべて「架空」で成り立つ記事であった。乙骨はそれらが、さも「真実」であるかのように裏付ける内容のコメントを平然と寄せていた。
 東京地裁は判決文の中で、「被告乙骨は、被告新潮社の記者による取材経過について詳細な内容を全く聞かなかった」とし、「原告(=学会)の本件地域での地上げの事実が真実であると誤信したもの」として、乙骨の過失を認め、損害賠償を命じた。
 つまり、新潮記者らの取材がどの程度真実に迫るものかの最低限の確認すらしないまま、学会の「地上げ」が真実との前提にたってコメントした責任を問われたのである。
 裏づけもなく、安易な結論に導こうとするこの男の「習性」ならではの結果であろう。
 一方、北海道墓苑デマ事件もズサンな思い込みが招いた失敗である。乙骨は99年8月、和歌山県で講演を行い、「創価学会が北海道の墓苑の用地を購入した際、ペーパーカンパニーを使って多額の裏金をつくった」などと“放言”。学会側が提訴したが、乙骨は一審でなんの証拠も提出することができなかった。このとき東京地裁は、「被告(=乙骨)はこの点の抗弁を現実に提出する意思を有しないものといわざるを得ない」と厳しく断罪。
 二審でようやく乙骨は、「継命」新聞時代の記事を根拠として持ち出したが、東京高裁は判決文の中で、「控訴人(=乙骨)が真実と挙げる『継命』新聞の記事も、その記事の記述自体に照らし、執筆者の憶測や単なる伝聞又は他人の推測に基づくものと思われる部分が多く、その記事の取材が確かなものであると認めるに足りる資料がない」として、50万円の損害賠償を命じた。
 乙骨が根拠として出した「継命」記事は信用に値しないと、断罪されたわけである。
 さらにインド在住のラダクリシュナン博士への「人違い中傷」事件も、乙骨の“職業能力の欠陥”を示して余りある。これもかつて「継命」に書いた記事の焼き直しだが、まったくの別人である「ラダクリシュナ」と間違えて博士を中傷。判決文では、「原告を別人物と取り違えたまったくの誤報であり、弁明の余地はない」と50万円の賠償を命じた。
 裏づけもなく“書き飛ばす”、乙骨の「ジャーナリスト」としての「資質」を示す事例の一端である。

■判決文を都合よく解釈
 最後に、この男の“事実に立脚しない”事例をさらに付け加えよう。それはこの男の処女出版の契機となった、95年の東村山女性市議転落死事件をめぐる「評価」問題である。
 転落死事件は、95年9月1日に発生。警視庁東村山署は、初動捜査を終了した9月2日午前7時ころの時点で、検察官、検視に立ち会った医師、刑事課長らを交えて討議し、現場の状況、女性市議の死亡直前の言動、死体の状況、関係者の供述などを総合して検討した結果、事件性は薄いとの判断し、東京地検も同様の結論を下した。
 だが、乙骨らは今になってもこの事件は「他殺だった」と大騒ぎ。自身の発行する雑誌で「座談会」まで特集。同じ号で、「『他殺』であることがハッキリしました」などと声高に書いている。
 その根拠は@司法解剖の「鑑定書」への疑問A朝木市議の自殺動機とされた「万引き」容疑に確証がないBさらに裁判所が朝木明代市議の転落死は「自殺」ではないと認定した――など都合のよい主張を挙げているが、そこで最大限に利用しているのが2002年3月28日、東京地裁で朝木直子・矢野穂積らが完全敗訴した『潮』裁判判決というから開いた口が塞がらない。
 そもそも故朝木市議の娘らが『潮』(95年11月号)の「世間を欺く『東村山市議自殺事件』の空騒ぎ」の記事を訴えてきた裁判では、裁判所は、自殺であったかどうかの「真実性」を判断していない。そもそも、自殺であったか他殺であったかを確定することは、名誉毀損の民事訴訟の目的ではない。
 この裁判では、上記記事の作成者が自殺であるなどと信じたことに相当の理由があるとの「真実相当性」を認め、朝木直子・矢野穂積らの訴えを完全に退けているのである。
 万引きについては、そもそも目撃者が複数いるわけだし、それを覆すためのアリバイ工作をさまざま行い、「冤罪である」などと主張しているにすぎない。さらに鑑定書の内容が疑問というが、勝手な素人判断で強弁しているだけである。捜査当局は総合的見地から結論を導き出したのであって、本当に疑問があり、新証拠があるというなら、“座談会”で騒いでいないで、あらためて刑事告訴すべきであろう。
 そもそも「他殺」を主張する朝木・矢野らは、初動捜査において、警察による事務所内の捜索にも協力していない。結局のところ乙骨らは「判決文」の一部を自らの主張に都合よく解釈しているにすぎない。
 「ジャーナリスト」と称する人間が判決文をまともに「読解」もできず、裁判所が認めてもいない「他殺」と断定的に書くことは、“都合のいい解釈”をモットーとするこの男ならでは行動ではあろうが、≪意図的誘導≫そのものである。
 学会を叩けるネタがブラ下がると、事実検証もなく、“ダボハゼ”のごとく食らいつくだけの「ジャーナリスト」。こんな男がまかり通るほど、わが国の創価学会報道は、何でもありの世界である。   (文中敬称略)

 
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