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ジャーナリズム関連 執筆記事 11

【『月刊潮』2005年6月号】

戦後史における「創価学会報道」の謀略性G

信平狂言事件(中)

被害総額7000万円超を「踏み倒した」の信平夫婦の実態。
〜詐欺まがいの行為を繰り返した“狂言夫婦”の悪行と、
「疑問」に目をつぶった週刊誌メディア――。


■「約1億円」の賠償をした出版社
 朝日新聞社が『週刊新潮』の記事をめぐって出版元の新潮社を名誉毀損で訴えていた裁判で、東京高裁は3月8日、賠償額を150万円から500万円に引き上げる“逆転判決”を出した。問題となったのは、同誌2003年2月20日号に掲載された「インターネットから『盗用』していた朝日の看板コラム『天声人語』」と題する特集記事。一審では、新潮記事が指摘した2件の天声人語のうち、1件について真実性は認めないものの真実であると信じたことに相当の理由(真実相当性)を認め、残る一本についてだけの不法行為を認定していた。だが、高裁では2件とも不法行為を認め、いずれも名誉毀損に該当するとした。いわば、週刊新潮の“全面敗訴”となったのである。
 さらに朝日判決から2週間後の3月22日、こんどはコンサルタント会社のダイキ・ホールディングスが新潮社を訴えていた裁判で、最高裁は新潮社側の上告を棄却した。確定した判決内容は、新潮社に220万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を命じるもので、同誌4月14日号には早速、「記事が事実に反し、根拠のないものであることを認め、ここに謹んで謝罪いたします」との謝罪広告を掲載した。
 問題となったのは、2002年10月17日号に掲載された「超高級『シャネルビル』に居残る高級でない会社」と題する記事。同社が暴力団と関係するかのような事実を示したが、裁判ではなんら有効な証拠すら提出することができなかった。
 さらにコンサルタント会社への謝罪広告が掲載された同じ月の4月19日にも、550万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を命じる新たな判決が東京地裁で出ている。
 訴えていたのは、テレビ東京の人気番組「開運! なんでも鑑定団」の番組制作会社「ネクサス」で、問題となったのは、2002年9月19日号に掲載された「ロシアで美術品『窃盗』裏金要求疑惑」と題する特集記事。判決では、記事は「疑惑を否定する多くの関係者の供述を安易に排斥し、当然行われるべき裏付け調査も怠った」と厳しく指摘した。
 『週刊新潮』は創刊50周年を明年に控え、いまも続々と“断罪”されつづけている。同誌を柱とする「新潮ジャーナリズム」の媒体(休刊の『FOCUS』などを含む)が90年以降、どれだけの損害賠償を命じられてきたか、このほど驚くべき数値が出た。本誌が数え上げただけでも、その数は30件を優に超え(金銭賠償を伴う和解を含む)、賠償総額は「約1億円」にも上る。新潮社が業界内で突出した謝罪金を支払ってきたことがおわかりいただけよう。
 なかでも、見出しを先に決めて記事化する「手法」が数多の問題を引き起こしてきた要因であることは明白である。“構図に反する”データはことごとく排斥され、記事内容が「事実」かどうかは最重要の問題とみなされない。新潮ジャーナリズムの紛れもない“実態”だが、信平狂言事件も同様の編集方針のもと、惹起された。

■手のつけられない暴れん坊

 信平狂言事件の陰の主役となった信平醇浩は1922(大正11)年生まれ。10代のころ電気工事技術者として免許を取得。戦中は「南方の前線」に出兵したが、復員後まもなく、質屋で働いていたとされる5歳年下の信子と出会い、昭和22年に事実上の結婚、翌年長男が生まれている。
 夫婦が創価学会に入会したのは56(昭和31)年2月。それから数年後に掲載された新聞記事には、醇浩を指して、「前は手のつけられない暴れん坊だった」(近くに住む会社社長)との証言や、「顔なじみのH刑事」なる人物のコメントが登場する。
 信子は「病的のようにひどい夫の短気」を挙げているが、目をひくのは、醇浩にとっての「カケごと」、なかんずく「競馬はキチガイの部類だった」との記述だろう。信平一家は、電気工事の請負業で戦後数年は順調だったと書かれており、「自動二輪車、12坪の家屋3軒をもつことができた」というが、仕事を若い者に任せ、競馬につぎこむなどで「たちまち家屋も手放し、借金も170万背負ってしまった」という。
 記事は、「北電(※北海道電力)の指定請負店として経営も順調、再起することができた」と締め括っているが、賭け事の“クセ”はその後も治らなかった。ある壮年男性はこう振り返る。
 「私も根っからの競輪ファンだったのですが、競輪場に行ってみると、いつも醇浩が500円のいちばんいい指定席に座っているんです。函館に競輪場ができたのは昭和20年代半ばですが、私が記憶する限り、レースがある日は醇浩はほとんど毎日のように来ていましたね。あれは一種の病気で、死ぬまで止められないはずです」
 事実、醇浩は、電気工事業の定職を半ば失ったあとも、競輪開催日には必ず競輪場に顔を出し、一日数万円分の車券を購入するのが日課だった。そうした行動は妻信子の「狂言手記」が掲載された96年2月以降も、ずっと続いた。注ぎ込まれた軍資金は、醇浩が罪のない一般庶民から“騙し取った”老後のための蓄えなどがほとんど。被害総額は優に一億円を超えると見られる。

■典型的な“詐欺まがい”夫婦
 すでに民事裁判で確定している分の被害総額は、約7400万円(計9件)。今年2月にはさらに1500万円の貸金返還訴訟が函館地裁に起こされた。
 醇浩の“詐欺まがい行為”の手口は、実はさほど手の込んだものではない。老後の資金を蓄えている泣き寝入りしそうな一人暮らしの女性を狙う。対象を探してくるのはもっぱら信子の役目。「お父さんに預けておくと月○万円の利息が入る」「私のいうことが信用できないのかい」などと持ちかけ、金を出させたあとは、一部返済するなどして、いったん相手を信用させる。そうして本格的な“騙し取り”に入っていく。
 醇浩は返済してもいないのに「全部返済した」と言い張ったり、返済金額をごまかすといった子どもじみたことを平気で行う。逆に返済もしていないのに「払い過ぎたから返せ」と、信じられないような暴言をはくこともしばしば。なにせ相手は、年配の女性である。
 こうして醇浩にはいったんは一部返済した事実があることに加え、返済意思だけは最後まで維持するため、被害総額が億単位に及ぶ悪質事案ながら、これまで刑事上の「詐欺罪」に問われることもなかった。狡猾な手口である。
 民事訴訟とはいえ、7000万円以上もの返済命令が確定しているにもかかわらず、醇浩はこれまで自ら進んで返済した事実すらない。信平夫婦が居住する高級マンションは意図的にか、息子名義になっており、差し押さえるものもない。それでいて、競輪に大金がつぎ込まれるのだから、被害者の怒りは治まらない。
 こうした行為は80年以降のものが明るみになっているが、夫婦が学会から金銭問題を起こして役職解任されたあとも、多くの人々が犠牲になっている。被害者は、学会員に限らず、醇浩の仕事上の関係、学会に敵意を抱いている日蓮正宗関係者にさえ及んでいる。つまり、利用できる相手なら誰でもいいのだ。
 例えば、日蓮正宗仏見寺(札幌市)の法華講員であったSさんは、97年5月ごろ、「信平さんの慰問に行きましょう」と仲間に誘われ、夫婦が待機していた函館市の旅館に連れていかれた。その後、信子から洋服や漬物などが送られるなど“接待攻勢”を受け、同年10月、醇浩に10万円を貸したのがきっかけに。以来、「母さんが東京の裁判に行かなきゃなんねえんだ」「弁護士の接待費用を貸してくれ」「橋本総理から金をもらえるようになった」「大きな金が入る」「協力してくれないと返済できなくなるぞ」などの口上で、計500万円余を借り上げられ、返済分を差し引いた470万円が未収金として残った。
 Sさんは司法書士に相談し、2000年、札幌地裁に提訴。醇浩は自身の尋問期日を二度も欠席、翌年醇浩側が敗訴したが、結局、一銭も返済されることなく、03年、Sさんは失意のうちに世を去っている。
 信平夫婦によって人生を狂わされた犠牲者は数多い。函館市の地元では、「信平夫婦を告発する被害者の会」(高石シゲ子会長)まで結成され、いまも活動中だ。現在、会員は三二人。泣き寝入りしたくないという人たちが中心となって集まっているが、会員の九割は女性という。同会の島谷隆明事務局長(73)が語る。
 「要するに、信平夫婦は、女性高齢者の単独世帯を狙って金をだまし取ったのです。情報が少ない人で、そばに頼れる人もついていないような人が狙われたのです。被害者は全部で200人くらいにのぼります。ちょっと世の中ではまれな夫婦と思います。良心だとか、人に対する思いやりなんてカケラもないですから。人の金なんていうのは、自分のためにあるくらいに思っている人間です」
 いっぽう、高石シゲ子会長(73)も、信平夫婦に対する貸金被害者の一人だ。金額は60万円と他の被害者より少ないが、ほかにも80万円を貸し付けており、こちらは信子の古着と無理矢理“相殺”させられたという。高石さんが語る。
 「どうしてもお金を返してほしいと思い、もう一人の被害者女性とともに、競輪場に通ってくる醇浩を待って、本人に直訴したことがあります。そのとき私は『何をコノヤロー』といきなり腹を蹴り上げられて、2〜3日、絶対安静の状態におかれたこともあります。醇浩は、女性に暴力をふるうことなど何とも思っていない人間です。私の親戚も信平夫婦にだまされて3000万円も取られました。骨までしゃぶりとられて、最後はぼろぼろになってしまいました」
 信平夫婦の“悪行”は尽きることはない。「被害者の会」は、結成から10年近く、ホームページを運営するなど、これまで地道に活動を続けてきた。

■「疑問」に目をつぶった門脇護
 90年代半ば、そんな夫婦に最初に目をつけたのが、脱会者の龍年光だった。日蓮正宗法主・阿部日顕から1000万円をもらって反学会活動をしていたことが判明した人物である。その龍が函館に格好の夫婦がいることを知った。さらに裏で暗躍したのは山崎正友とされている。当時、編集長だった松田宏(現・常務)は、山崎が80年に“告発者づら”してマスコミ操作を始めて以来の刎頚の友。そこで白羽の矢が立ったのが、「松田によって引き上げられていった」(新潮関係者)とされるデスクの門脇護(現・副部長)だった。
 門脇が日蓮正宗信徒の手引きで最初に信平夫婦を「取材」した九六年2月初頭、実は、醇浩についてすでに4件も出ていた貸金訴訟の「敗訴」判決についても、その際、詳しいやりとりがなされている。
 このとき信平夫婦は、学会解任後に起こされた嫌がらせ裁判にすぎない旨を主張、「逆に私が貸した人から訴状が来た」(醇浩)、「私たちに物を払わないきゃならない人だけが原告になったわけです」(信子)などと、子ども騙しの逃げ口上を繰り返していた(この“言い訳”は、信子の新潮手記でも、外国特派員協会での記者会見でも無批判に繰り返された)。
 このとき現場で取材していた門脇は、実際は信平夫婦に対し盛んに疑問を投げかけている。
 「何で(裁判に)負けるんですか、話を聞いている限りでは負ける要素がない」「日本はそんなに、法廷は甘いところじゃない、ちょっとおかしいと思うなあ」「オレ、ちょっと合点がいかないなあ」「こっちも何がしかのものがあるんでしょう。そうしないと、何にもなくてほら‥‥」
 事実に迫ろうとする記者が抱くであろう当然すぎる疑問とも思えたが、これらの“解決すべき”疑問は意図的にか、その後打ち消されていった。
 その頃、函館国際ホテルを拠点に取材活動を行っていた『週刊新潮』の取材チームは、信平夫婦の唯一の証言者ともいえる仏壇屋の女主人、倉益ますみをホテルに呼び出し、取材を行っている。このとき、倉益は信子に「言わないでね」と釘をさされ、信子が仏壇販売を介して一割のキックバックを受けていた「事実」を口封じされてもいる。『私も信平夫婦の被害者だった』(倉益ますみ著)と題する本人の手記によると、「(※信子にリベートを)払っていないと言ったことで記者の人たちは、納得したようです」とも綴っている。
 要するに、デスクの門脇護を筆頭格とする『週刊新潮』編集部は、信平醇浩・信子という地元でも有名な“詐欺まがい”夫婦によって騙され、信子によって“偽証依頼”された女性のウソすらも見抜けなかったのである。
 「信平狂言裁判」が100万件に1件しか認められない“訴権の濫用”として断罪されたのは当然のことであった。
(文中敬称略)

 
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