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2016/11/30 12:45
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“暗黒時代”の反省なく、集団で後輩に報復した足軽一派の過去
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 教団本部を懲戒解雇された元職員3人の処分経過をざっと年表にすると、以下のようになる。

  2007年10月  足軽会が集団で後輩に報復行為
  2008年 5月  本部指導監査委員会による指導始まる
  2009年 4月  本部人事委員会による役職解任処分
  2011年10月  職員懲罰委員会による譴責処分
  2012年10月  職員懲罰委員会による懲戒解雇処分 

 これに以下の除名処分の経過を重ねてみると、どうなるか。

  2012年 5月  木本貴子ら3人が除名 【住居侵入罪・不退去罪等に該当する行為】
  2013年12月  福岡大祐が除名 【組織内組織(=足軽会)の維持】
  2014年 6月  元職員3人(小平・滝川・野口)が除名 【組織内組織(=足軽会)の維持】

 要するに、福岡大祐を事実上のリーダーとする足軽会は、2007年には「暗黒時代は去った」などと述べた後輩の中心者らの自宅などに集団で押しかけるなど、報復行為を行い、相手を医師の診断を要する状態に追い込んだ過去がある。それにより、翌年から彼らへの組織的な指導が行われるようになり、彼らは誓約書すらも提出しなかったことにより、段階的な処罰を受けていく。元職員3人については、宗教法人の職員が法人の方針に従わないのだから、社会常識から考えれば、当然のことであろう。そうして彼らは、職場においては“問題視”される存在となっていく。
 そんなときに、木本貴子らの事件が起きる。聖教新聞の減部は最初のきっかけにすぎず、この事件の処分理由の本質は、面会や謝罪をさまざまな手段・方法を使って強要し、犯罪に該当する行為を行ったこととされている。こうした行動は、先の後輩宅などに集団で押しかけ、対話や謝罪を要求する行為とまったく同じものだった。その点では、彼らの行動パターンは終始一貫している。「対話」という美名のもとに威迫を加え、屈服させる(=自分たちの好きなような振舞いを認めさせる)行為ともいえよう。
 彼らが木本問題に関与したことで、さらに“深み”にはまったことは時系列から見て明らかだ。ちなみに上記の除名者はすべて100メートル圏内に固まって住む。その状態は、福岡が除名される以前から続いているものだ。
 彼らは自分たちの非を一切認めない態度をとる。その上で、≪事実上の暴力≫ともみなされかねない「対話要求」を継続し、相手がそれに応じないとみるや、それ自体を“批判の道具”として活用する。
 もともとの発端となった「暗黒時代」についてだが、後輩たちにそのように思われる行動をとってきたのはまさに彼ら自身なのであって、そこに自省の念はいまだに全く感じとれない。原因・責任の一切を自身に認めないのは、自分と環境は一体としてつながっていると捉える仏法の世界では本来的にありえないことであり、“外道”の姿そのものに映る。