日記

2012/11/17(Sat)
出だしは市議会選挙の“落選者”に過ぎなかった矢野穂積
 朝木明代・東村山市議会議員(当時)が1995年6月19日、市内のブティック店で万引き事件を起こした背景に何があったのか。今から振り返ると、朝木には大きな「ストレス」がのしかかった状況だったことは容易にうかがえる。
 この年の4月、市議会選挙が行われた。朝木明代は3期目をかけて挑戦。トップ当選を果たすが、これまでと違ったのは、同じ会派の候補者として新たに2人を擁立したことだ。一人は朝木の娘である朝木直子、もう一人は朝木明代の事務方を事実上つとめてきた矢野穂積である。
 結果として、朝木直子は“若さ”を売り物にして上位当選を果たしたものの、矢野は次点で落選した。そこで終わっていれば、9月1日の朝木明代の転落死事件は起きていなかった、と見る関係者は多い。だが、一人の男のどす黒い虚栄心から、歯車は大きく狂うことになる。
 矢野は繰り上げ当選を狙ったのか、朝木直子は当選直後、他の地方自治体に住所があるなどと虚偽の弁明を行い、当選辞退を表面したからだ。そのどさくさをへて、矢野は議員バッジを胸につけた。
 朝木明代にとって悩みの種となったのは、このどさくさ劇の過程で、議席譲渡を問題視した市民と対立することになっただけではなかったと思われる。より大きな問題は、矢野穂積と娘の朝木直子が、通常の人間関係ではなくなっていたと見られることだ。
 朝木明代が死亡した直後も、2人が恋人のような雰囲気を漂わせながら公の場所で仲良く手をつないだ場面を目撃した人は複数存在する。
 一方で矢野は、母親である朝木明代との関係をめぐっても、本家の朝木家で、親族会議が開かれるほどの親密さを疑われた過去も存在した。そうした疑惑を背景に、朝木明代はストレスが高じたのか、自ら万引き事件を引き起こし、さらには転落死事件に至ってしまった。矢野は自分にとって不都合な真実を覆い隠すためか、転落死を「創価学会による他殺」などと強弁し、何の関係もない宗教団体に罪をなすりつけた。