日記

2011/12/26(Mon)
準備不足もはなはだしい『週刊ポスト』連載の「化城の人」
 小学館が発行する「週刊ポスト」が新年号から、ノンフィクションライターの佐野眞一氏を起用して創価学会物の連載を始めた。同氏は同じ媒体でソフトバンクの孫正義氏の人物ルポをてがけていたが、この「化城の人 池田大作と創価学会の80年」の連載は、しょっぱなから全くいただけない。当代を代表するライターの筆なので最初は期待して読み始めたが、基本的な事実確認すらまったくといっていいほどなされておらず、これでは物書きとして世間に自ら「恥」をふりまくような代物と言われても仕方がないだろう。
 幾つか具体例をあげておくと、たとえば同氏は「創価学会がトップの病状をひた隠しに隠すのは、いまに始まったことではない」などと記し、第2代戸田会長が1957年11月に病床につき、その後翌年4月に亡くなるまで「ウソをつきつづけた」などと記述する。実際は戸田会長は翌年の元旦には200人の幹部会員に前に姿をあらわし、同年3月には6000人の青年部員とともに式典すら行っている。それでいて「ひた隠しに隠す」との記述はそぐわないだろう。さらに「創価学会はいうまでもなく日蓮正宗の在家信徒団体である」との紋切り型の説明も、過去は確かにそうであったが、現在はまったく状況が異なることへの配慮はまるで示されない。これでは一般読者に不親切だ。加えて、日蓮正宗とは関係のない「日蓮宗」の記述がだらだらとつづく。
 冒頭部分では一つの資料が提示される。日蓮正宗系機関紙「慧妙」に連載された4人のアンチジャーナリストによる座談会の内容だが、本連載のリード部分で、「ジャーナリズムの視点から批判的に」行われてきた創価学会物とは一線を画す旨の表明があるのに比して、羊頭狗肉そのものだ。4人のジャーナリストとは、溝口敦、段勲、野田峯雄、乙骨某だが、座談会は発言者の名前すら記されず、ABCDという匿名でなされたいい加減な形式の座談会である。その内容も、裏づけを伴わない自分勝手な憶測を並べただけのレベルの低い代物だ。そんな文書を佐野氏が引用すること自体、この連載の拠って立つ「地点」を不明確そのものにしている。
 連載1回目の最後部分は「墓」である。佐野氏は池田名誉会長が父親を入会させることができなかった事実を取り上げて、「自分の家族や一族さえ折伏できなかった男が創価学会の会長におさまる」「それが、池田創価学会の最大の謎である」などと書き連ねている。
 文章には、書き手の発想・見識のレベルがそのまま反映されるものと受けとめざるをえない。家族や親族「全員」が入会するかどうかという問題と、指導者としての力量とは、本質的に結びつくような種類のものではなく、母親は入会したが、父親は最後まで入会しないといったケースは会内では特に珍しいものでもない。
 まあそれでも、ちまたのインターネット上に流れているような「在日朝鮮人説」などに立ち入っていない点はまだましとはいえよう。とはいえ、日本の創価学会報道はやはりこの程度のレベルなのだと感じざるをえないような内容ではある。準備不足もはなはだしいままスタートした連載であることは明らかであり、残念である。