日記

2011/10/20(Thr)
“妄想”と“誤認”で裁判を悪用する「大学教授」の価値
 再び香川大学の“お騒がせ教授”に戻ろう。同人が10月14日付の当事者照会書としてブログに記している文面によれば、そこは次のような伝聞スタイルのオンパレードだ。

 「と伝えられている」
 「といわれている」
 「と世間ではウワサされており」
 「という説もある」

 世間でウワサされているから、それが事実であるかどうかを訴訟相手に聞くというスタイルである。その主な内容はというと(1)池田名誉会長は生きているか(2)在日韓国人か(3)東村山市議転落死事件は創価学会による暗殺か――などといった荒唐無稽なもので、およそこの人物の「常識」の程度がうかがえる。いずれも証拠を示さない、根拠なき主張ばかりである。
 暇を持て余して井戸端会議に高じるような人々ならまだしも、いちおうの知識人とみなされているはずの国立大学教授が、底の浅い裁判用の書面を提出し、それを得意げにインターネット上で発信し、日蓮正宗系のアンチメディアなどに好意的に取り上げられて喜んでいる。およそこの世の行き詰まりを暗示するような姿だ。
 客観的に見れば、単に「妻に逃げられた」だけの人物が、その責任を自分以外(教団)に責任転嫁している。そうした実態をいくら覆い隠そうとしたところで、その本質はいたるところににじみ出ているように見える。創価学会員であろうと、例えそうでなかろうと、自分の「責任」を直視できない人間は、ひととしては信用されまい。例えどこの世界に身をおく者であっても、それは当然の理屈ではなかろうか。