日記

2011/07/28(Thr)
印象操作に終始する“妄想教授”はなぜ刑事告訴しないか
 「殺す」と脅迫されたなどと民事裁判で主張している“妄想教授”のことに再び言及しよう。この人物はよほど臆病な性格か、あるいは確信犯的に実際は起こりもしないようなことを大袈裟に言い立てているかのどちらかと思われる。逆にそのような脅しを受けているのなら、民事などに頼らず、即刻、刑事告訴をすべきであろう。なぜそうしないのか。
 私はこの裁判に、信平狂言訴訟と似たような「構図」を感じ取る。信平裁判も、性的被害を受けたと主張する人物が、刑事事件として告訴するのではなく、民事の損害賠償のみを求めるものだったが、本当の被害者であれば、両方行うのが筋だ。ただし、民事と違って刑事となれば、捜査機関の厳密な取り調べが介入する。それに耐えられるだけの事実的根拠がなければ成り立たない。だからこそ、事実的根拠のない信平事件では、最初から刑事告訴をすることなど無理な話で、自由な主張が可能な民事訴訟だけが行われたにすぎなかった(その民事訴訟でも、審理の過程で事実的根拠がないことが明らかとなり、訴えは「却下」された)。
 著名な団体(宗教教団であれなんであれ)が、冒頭のような手法を取ることは常識的には考えられない。仮にそのような手法が可能だとすれば、“希代のペテン師”山崎正友などは、とっくの昔にそのような目に遭っていただろう。だが当人は最後まで自由自在にこの世で行動し、自らの人生を謳歌して終えている。
 ともあれ、すでに「真相」が明かとなっている16年前の東村山デマ事件(市議転落死事件)についても、いまだにそれが教団による謀殺などと信じ込んでいるらしい“妄想教授”には、何を言っても無駄であろう。事実識別能力が極めてお粗末なレベルにあることだけは明らかだからだ。
 信平裁判では、その宣伝媒体が「週刊新潮」であったのに対し、冒頭の裁判では、自身のブログに変わっただけの話である。そうしたブログに、反学会グループが関心を抱き、さらに会内の“不満分子”の一部なども磁石のように引き付けているのが実態だ。
 肝心なことは、その主張内容が「正確」であるのかどうか、「事実」であるかどうかの一点に尽きる。だがその文章や主張内容をとっても、事実に忠実たろうとする姿勢にはとうてい読み取れない。自分の側の恣意的な主張を、一方的にネット発信しているにすぎない。むしろ裁判の結果が出る以前から、このように情報公開を含めて“大騒ぎ”する手法は、信平事件とも全く同一のものである。目的は、騒ぎを大きくして、相手にダメージを与えることに置かれていると思われるからだ。結局のところ、自信がないことの裏返しにも受け取れる。