日記

2011/05/23(Mon)
矢野穂積が議席を“奪い取って”16年
 1995年4月。東京・東村山市の市議会選挙で、当選した候補者が落選した候補者に議席を“譲渡”するという、民主主義では考えられないような事態が起きた。当選したのは朝木直子、落選したのは矢野穂積という名の人物である。このとき朝木は矢野を繰り上げ当選させる目的で、自らの当選を辞退。市では大きな論議を呼ぶことになったこの行動は、その後住民訴訟に発展し、最高裁でこの件の議席譲渡は「無効」として、矢野の繰り上げ当選を認めないという結果で決着した。
 当時、4月から5月にかけて東村山市議会は大きな騒動の渦中にあった。市選管によって矢野の繰り上げ当選が認められたのは同年5月21日。23日には議員バッジをつけた矢野が初めて、議場に臨んだということになっている。その日から今日でちょうど16年になるわけだ。
 東村山では、議席を譲り渡した朝木直子の母親、朝木明代が9月にビルから転落死する事件が起きた。すでにこのころ、朝木直子と矢野穂積は“不適切な関係”にあったと見られており、そのことが明代の精神的不調の一因となったと見る関係者は少なくない。
 朝木直子と矢野穂積は、朝木明代の死を特定教団による暗殺であったかのように吹聴し、現在も同様の行動をとっている。そうした客観的証拠に基づかない「宣伝」によって、矢野は16年の長きにわたり、東村山市議会の一席を占めてきた。その矢野は、母親の朝木明代との間でも“不適切な関係”を疑われた過去がある。