日記

2011/04/14(Thr)
「デマ宣伝」で議席をかすめ盗ってきた「矢野穂積」
 1995年の東村山市議会議員選挙――。自らは次点で“落選”しながらも、上位当選した朝木直子による議席譲渡行為によって、議席を一時的にかすめ盗る行動で有名になった「矢野穂積」市議。実はその朝木直子と矢野の2人は、その後“不適切な関係”にあったことが浮き彫りになっている。
 冒頭の議席譲渡事件は裁判ざたに発展し、最高裁判所は、2人による議席譲渡を「無効」と判断、矢野は一時的に失職した。だがそのあとも、矢野らは2期(99年〜)、3期(2003年〜)、4期(2007年〜)と市議としての議席を守り続けてきた。
 2人が所属する「草の根市民クラブ」の政治手法は極めて特徴的である。巧みな「虚偽宣伝」を繰り返して、有権者を騙す政治手法そのものだ。
 今回の選挙においても方法は一貫しており、機関紙「東村山市民新聞」において、自分たちが敗訴した裁判を、まるで勝訴したかのように“逆宣伝”を繰り返している(当コラム4月5日付)。
 さらに公明市議に対しても、「業者と癒着が発覚!」などと1面トップで大騒ぎし、盛んに煽っているものの、その事実的根拠を探ってみると、他の自治体の地方議員の主張の“受け売り”にすぎないことがわかる。
 東京・武蔵村山市議をつとめる人物が、自身のブログで書いた記事をある建設会社から削除するよう法的措置をとられ、同人は今年2月、その記事を自ら削除した。その結果、建設会社側は訴えを取り下げたのだが、その「取り下げ」行為を指して、矢野はまるで公明市議と業者の癒着が明らかになったとばかりに騒いでいる。
 矢野は目的遂行のためなら、手段を選ばないタイプの典型的な人物だ。95年の選挙では、市民から十分な信認を得ることができず、一旦は落選しながらも、朝木直子に当選を返上させたことで、議席を手に入れた。
 同じ95年にビルから転落して死亡した朝木明代事件についても、他殺の証拠は存在しないにもかかわらず、オウム真理教事件で沸騰していた世論を利用して、「教団謀殺説」を作出。荒唐無稽のデマを使って、99年の選挙を「弔い選挙」として戦い、上位当選を果たした。当選という目的のためには、どのような手段であっても構わないという特徴的な行動といえよう。
 矢野穂積の人格特性を特徴づける最大のものは、「虚偽」の2文字に尽きる。これほど嘘で塗り固められた人格は、世間でも珍しい。“サイコパスの生きた標本”と私が指摘するのは、まさにそうした意味からだ。サイコパス研究に携わる犯罪心理学者などからすれば、格好の研究対象になるはずだが、残念なことにわが国ではサイコパス研究はさほど盛んではない。その点、矢野はおおいに助かっている。
 良心の呵責をもたない特異人格者とされる「サイコパス」が政治に関わるときに、どのような類型的な行動をとるのか。矢野穂積のこれまでの16年間の軌跡は、まさにその「生きた記録」といってよい。