日記

2011/04/08(Fri)
「ガセネタ屋」の記述を訴えることはできない正真正銘の“デマ男”
 宗教専門紙「週刊仏教タイムス」が4月7日付の紙面で、「ジャーナリストの乙骨氏勝訴 名誉棄損で地裁判決」という見出しの記事を掲載している。“ガセネタ屋”で有名な乙骨某が初めてと思われる名誉棄損提訴を行い、この3月、55万円勝訴した旨を伝える内容の記事だが、その肝心の裁判は、「私はガセネタ屋などでは決してない。事実をきちんと取材して正確な情報を発信するまともなジャーナリストである」などと乙骨が主張して始まったわけでは決してない。これまでさんざん「ガセネタ屋」と指摘され続けてきたこの男は、そのことは一切争点にすることもなく(つまり、自分が「ガセネタ屋」であることを自認していることを意味する)、より細かな“条件闘争”を行ったにすぎなかった。
 たとえば、乙骨自身の創価学会 → 正信会 → 日蓮正宗 というように、それぞれが対立する教団・組織に簡単に寝返ってきた節操のない行動を指して、「裏切るものは何度でも裏切る」などと指摘された部分や、さらには民主党に立候補させてほしいと同人が頼んだとする記述、またさまざまな団体の「ひもつき」と指摘された点などのみを取り上げ、名誉棄損で訴えたものである。対象となったのは創価新報の記事だったが、今回の一審判決では、それらを名誉棄損と認定した。
 これらの争点には、明確な「前提事実」が存在するものも含まれている。例えばこの裁判で、乙骨側は共産党員の弁護士に代理人を委任するなど日本共産党との強い結びつきは明白なほか、同人が過去に都合よく教団を渡り歩いてきたことも歴然たる事実であり、そうした前提事実には確たるものがあったからだ。
 もともと乙骨某といえば、まともな取材能力を持ち合わせず、東村山女性市議転落死事件では、“希代のペテン師”矢野穂積の≪デマ主張≫を鵜呑みにし、創価学会謀殺説をにおわすなど、まさに「ガセネタ」で商売を重ねてきた経歴をもつ人物だ。100万件に1件ともいわれるデマ事件・信平狂言事件においても、そうした行動は一貫していた。要するに、乙骨は前提事実すら存在しないデマ話を題材に“暗躍”してきた人物にほかならない。そうした行動を総称して、同人は「ガセネタ屋」などと呼ばれてきた。
 そのためか、本人は自分が「ガセネタ屋」と言われても仕方のない人間であることはよく弁えているようで、そうした指摘を名誉棄損として訴えることはとうていできないわけである。だからこそ、小さな一部の行き過ぎと見える表現を取り出し、名誉棄損で訴えたという経緯だったが、所詮は“条件闘争”にすぎない。こうした裁判に勝ったところで、同人が「ガセネタ屋」という『汚名』を“返上”することには何らつながらない。「ガセネタ屋」の本質はどこまでいっても「ガセネタ屋」にすぎず、それを超えることは決してできないという構造だからだ。
 ボクシングの試合に例えていえば、お互いに打ち合っているなかで、たまたまボディブローが反則行為としてのローブローと判定されてしまったという程度の話にしか映らない。