日記

2011/01/23(Sun)
朱に交わって赤く染まった「朝木直子」
 95年に東村山駅前のビルから転落死した朝木明代市議が結婚した相手は、かつて自分の家庭教師であった男性だった。東村山市内の臨済宗寺院が男性の実家で、明代より6歳年上だった。一方の現在の東村山市議会議員である矢野穂積は、明代より3歳年下となる。明代の長女「朝木直子」は、思春期のころと思われるが、この矢野穂積が家庭教師を務めた間柄だ。朝木家の歴史にとって、「家庭教師」なるものの存在は、人間を結びつける一つのキーワードになっているようだ。4人の年齢差を並べていくと、次のようになる。

  朝木明代の夫 (6歳) 朝木明代 (3歳) 矢野穂積 (20歳) 朝木直子

 現在、矢野穂積は63歳、朝木直子は43歳。東村山市議転落死事件が「謀殺だった」という根拠のないデマの“発信源”となったのが矢野穂積自身であったことは、すでに社会では広く知られた「公知の事実」といってよい。問題は、それに同意・同調してきた朝木直子の存在であろう。小生には同人が本当に母親が殺されたと心底から信じているとは到底思えないだが、朱に交わると赤く染まるという言葉もある。この場合の「朱」が「矢野穂積」のことを指すことはいうまでもない。自分の身を守るためなら平気で“虚言”を用い、社会にふりまくことを厭わないような人物と深く関わるようになれば、その内的精神も似通ったものになるというのだろうか。
 母親の「後釜」に居座った、23歳も若かった朝木直子は、矢野穂積にとって欠くことのできない存在である。