日記

2011/01/14(Fri)
“究極のデマ”で16年生き長らえた「矢野穂積」
 このコラムを読んできた読者からすれば、東京・東村山市の「矢野穂積」という名の市議会議員が、かつて同僚市議であった朝木明代の転落死事件を利用し、確たる証拠もないままに「他殺事件」に仕立て上げ、自らの政治生命を巧みに延命させてきた“技術”に驚かれることだろう。
 彼らがこれまで主張してきた「学会謀殺説」というものは、実は、朝木明代を自殺に追い込んだ自らの結果責任を隠す意図から出されたものであり、自己保身のたまものであることもご納得いただけよう。彼らにとっては相手は創価学会でなくてはならなかったわけではなく、たまたまそのころ、オウム真理教事件が世間をにぎわせていた関係で、市民を騙すためには著名な宗教団体であることが好都合だったということにすぎない。要するに、市民をだませる構図がつくれるのなら、そのパーツは何でもよかったともいえる。
 繰り返しになるが、事件から15年以上すぎたいまも、謀殺説の事実的根拠となるものはどこにも存在しない。つまり彼らは、16年近くにもわたり、根拠のない「デマ」を発信し、主張し続けてきたことになる。すべては自分たちの政治的立場を守るためにだ。その背景には、朝木明代、矢野穂積、朝木直子という3者の“複雑な人間関係”があったことも指摘してきたとおりである。
 矢野穂積は「デマ」を“最大の栄養源”として議席の維持を図ってきた日本でも珍しい公職者といえる。良心の呵責をこれほど見事に欠落させた人格も珍しい。東村山市民にとっては、こんな「ペテン師」に、いつまで議員バッジを付けさせるのかという民度を問われている問題でもある。