日記

2011/01/07(Fri)
バッグにかぎが残っていて困るのはだれか  矢野穂積・朝木直子の「大ウソ」
 昨日、東京地裁で被告として尋問を受けた。法廷で尋問を受けるのは2度目である。この裁判の原告は東村山市議の矢野穂積。被告側代理人による30分間の主尋問のあと、原告側の代理人が反対尋問を行った。そのなかで次のようなことを聞かれた。
 95年9月1日夜に起きた東村山女性市議転落死事件にまつわる事柄である。女性市議がビルの5階付近から転落して、その後死亡したものの、くつとかぎを所持していないことが問題となっていた。くつは最後まで発見されなかったが(そのときのくつと思われるものが別の場所にあったことを目撃していた人はいる)、かぎは現場近くからその後発見された。
 原告側の弁護士は私に対し、当初かぎが見つからなかったあるいはその後現場付近からかぎが発見された事実は、「他殺の根拠になるのではないか」と見当はずれの質問をしてきた。私は即座に「まったくそうは思わない。かぎは朝木さんのバッグの中にあったと思う」と述べた。
 朝木さんのバッグは当時、転落現場から徒歩2分の距離にある草の根事務所内におかれていた。男性がポケットにカギを入れるのと違い、女性は服装的に身につけられないことも多い。その場合、バッグなどに入れるのが通例だろう。
 転落事件を起こした朝木明代市議は、事件当日の午後9時19分、自宅から草の根事務所で仕事をしていた矢野穂積に直接電話し、「気分が悪いので少し休んで(事務所に)行きます」と伝えていた。転落事件が起きるのは午後10時。その間はわずか40分ほどにすぎない。朝木市議の自宅から事務所までは徒歩4分、事務所から転落現場までは徒歩2分。合計6〜7分のちょうど途中に、事務所はあった。
 先の朝木市議の言葉に従えば、自宅で横になるなどしばらく休息をとった上で、彼女は言葉どおりに事務所へ向かったはずである。その事務所には矢野穂積がいた。当然、2人はそこでかち合うことになる。
 朝木市議は翌日、高知県に出張することになっていた。その講演原稿を仕上げるために事務所に戻ると言明していた。だが、午後10時にはビルから飛び降りる。
 このとき、朝木市議が事務所を最後に転落現場に向かったことになると、実はいちばん困ることになったのはだれか。いわずもがな矢野穂積本人である。
 この9月1日というのは、朝木市議が起こした万引き事件とその隠ぺい工作をめぐって、朝木市議と矢野が東京地検八王子支部に呼ばれることになっていた9月5日の4日前の段階に当たっていた。万引き事件が起訴されるなどすると、朝木市議は議員辞職をやむなくされ、選挙に落選し議席譲渡で議席をやっと得ていた矢野も、次回の選挙で落選することは明白だった。そのため、なんとしても万引き事件をつぶす必要があった。
 万引き事件の被害者である洋品店には、被害届を取り下げさせようとさまざまな工作を行った。最後は2人でファミリーレストランで食事をしていたことにしてアリバイ工作まで行った。だがそれらの虚偽工作も警察に見破られ、窮地に陥る。結局、検察庁に書類送検され、そんな矢先に起きたのが朝木市議の転落事件だった。
 繰り返すが、朝木明代市議が「少し休んで事務所に戻る」との言葉どおりに行動したとすれば、自宅で少し休息したあと、やおら立ち上がって事務所へ向かったはずである。そうして事務所内において矢野と接触した。
 だが矢野には、この当然すぎる事実を絶対に認めることのできない個別的事情があった。朝木市議の転落の直前に最後に会った人物が自分ということになれば、朝木市議の自殺への関与を疑われかねなかったからだ。万引き事件のアリバイ工作など、彼女の死についての責任の多くが自分にかかってくる。多くの敵をつくってきた東村山市民からも批判の矢を浴びる。遺族からも恨まれかねない。まして、次の選挙では当選も難しくなる。要するに、そのことを認めてしまうと、自身の政治生命を事実上断たれてしまうという関係にあった。
 そのため、朝木市議が草の根事務所に立ち寄った事実を、是が非でも消し去る必要があった。そこで彼らが持ち出した「空想」ともいうべきストーリーが、朝木市議はすでに自宅にいた段階から何者かに≪拉致・監禁≫されており、転落現場まで薬をかがされるなどして連れて行かれ、何者かにつき落とされたという無理すじの話だった。ところが転落現場は、東村山駅東口のロータリーに面した繁華街のビルである。だれがそんな目立つ場所に、大人ひとりをおっちらおっちらと担ぎあげるなどして運び、わざわざ階上から突き落とすような真似をするだろうか。小学生が考えてもおかしな理屈である。
 だが彼らはそのように主張することでしか、朝木市議が草の根事務所に立ち寄った事実を消し去るための現実的な手段を持ちえなかった。もし立ち寄ったことが確定してしまえば、「他殺・謀殺説」を主張する根拠そのものが根底から崩れてしまうことになる。だからこそ、どんなに突飛な≪空想・妄想≫と思われようとも、その一点だけは譲ることはできなかったのだ。
 とき幸い1995年当時、世間はオウム真理教事件で揺れに揺れていた。弁護士一家殺害事件のニュースがピークを迎えていた。朝木市議がある教団の問題を追いかけていた過去の事実もあった。チャンスだ。彼らがそう思ったことは、いまとなっては歴然としている。確かに、乙骨某のような愚かなジャーナリストや、売ることだけを目的とした週刊誌などは、このセンセーショナルな「デマ」に魚がえさに食いつくように飛びついた。
 実際のところは、朝木市議がはいていたと思われるくつも、草の根事務所内におかれていることを目撃していた新聞記者がいた。そのくつはその後忽然と何者かの手によって消えている。
 当然ながら、かぎも事務所内のバッグの中にあったと推測される。事件発生当時、かぎがバッグの中にあって一番困ることになったのはだれか。その答えもいまとなってはもはや明白であろう。多種類の確定された前提事実をもとに、もっとも合理的に導き出される結論は、そういうことになる。
 朝木明代市議が休息した直後の自宅現場内には、なんら荒らされた形跡すらなかった(娘の朝木直子談)。にもかかわらず、現東村山市議の矢野穂積と朝木直子の2人は、何らの事実的根拠もないまま、朝木明代市議は≪拉致・誘拐・謀殺≫されたなどと平然と主張し、特定教団に罪をなすりつけてきた。こうした事実的根拠を伴わない、いわゆるまったくの「妄想」の類いと異なり、同じ推測とはいえ、複数の多岐にわたる「前提事実」をもとにしたそれとは、その信憑性において、天と地ほどの開きがあることは容易におわかりいただけよう。