日記

2010/12/09(Thr)
東村山デマ事件――空白の2時間
 東村山市議会議員の矢野穂積らが、朝木明代市議(当時)が特定教団によって暗殺されたなどと主張してきた東村山デマ事件の核心は、「空白の2時間」に真相が隠されている。すなわち、転落事件当日の1995年9月1日、朝木明代が自宅から草の根事務所に電話したとされる午後9時19分から、救急車が発車するまでの同11時16分までの約2時間を指す。朝木明代市議は午後10時ごろ、東村山駅前にほど近いビルの5階付近から転落した。同市議が発見され、救急車が到着するのは10時52分。この52分間のタイムラグが、同市議が命を落とすことになった時間的な原因だった。
 この間、矢野穂積は草の根事務所にいたことになっている。同人の主張によれば、10時30分ごろ、自宅に戻った娘の朝木直子から連絡があり、「だれもいない。心配なので警察に連絡をとってほしい」との電話があったという。それを受けて、矢野は警察署に電話したと主張するが、肝心の警察にその記録は残っていない。
 不思議なことは、まだ深夜でもない10時30分の段階で、矢野が警察に電話を入れたと主張する内容である。さらに救急車が到着した10時52分、サイレンの音は転落現場から100メートル足らずの草の根事務所に明確に聞こえたはずだ。だが、矢野はサイレン音を無視した。不思議なことである。
 行方が知れないとわざわざ警察にまで電話したとされる人物が、至近距離で救急車のサイレンが鳴っていても、何ら反応していない。普通に考えれば、朝木明代の可能性を疑い、飛び出していくか、消防に確認すべき事態であろう。それはさておき、「空白の2時間」のナゾを解くカギは、実は、午後9時19分から10時までの「40分間」に隠されている。そのナゾは、これから徐々に明らかになっていくはずだ。