日記

2010/11/22(Mon)
自分の“不始末”を罪なき教団になすりつけたペテン師「矢野穂積」
 この事実は何度強調してもとうてい十分なものとはいえないだろう。少なくとも、矢野穂積が東京・東村山市議会に議席をもっている限りは。
 矢野穂積の行動を追っていけば、同人が本当に市政をよくしようなどという気持ちで市議会議員となっているわけでないことに多くの人間が気づくはずだ。同人のもっとも親しい道徳的信念は、「目的のためには手段は選ばない」というものに見え、その「手段」のなかで大きなウエイトを占めているのが「虚偽」であり、さらにはそのための「宣伝活動」といえる。
 矢野は一言でいえば、「虚偽宣伝」がことのほか得意な人物であり、その意味で矢野の政治手法は“ナチス流”といわれるのだ。民事裁判で負けても、逆に勝ったように見せかけて宣伝するのは得意中の得意な芸当であり、実際は加害者でありながらもまるで被害者であるかのように“演出”し、市民の同情を買おうとする姿勢もまた顕著である。同僚女性市議の不幸な転落死を、いいように弄び、自分たちの利益のために用いた事実も、まさにその典型例といえよう。
 そうしたイカサマともいえる政治姿勢がいったいどこから生まれるかといえば、結局、それは矢野穂積自身の「特異な人格」に求められる。
 矢野は95年の東村山市議転落死事件の当時、世間がオウム真理教事件で揺れていることをいいことに、同僚市議であった朝木明代の死亡を、罪のない教団になすりつけることで回避しようと試み、事実を識別できないお粗末なジャーナリストらを使って、工作を図った。当初はそうした意図は成功したかに見えたが、確かな証拠は何一つなく、むしろ状況はそれとは正反対の様相を呈していった。その後の多くの民事裁判でも、矢野らの主張してきた内容は、真実性を一切認められず、同人のペテン師ぶりはますます明白になっている。
 つまるところ、矢野は自分の“不始末”を罪なき教団になすりつけた「ペテン師」にほかならない。それでも市議会議員の「公職」にとどまりつづけることができているのは、ひとえに、クロをシロと言いくるめることのできる同人特有の“卓越した能力”のおかげであり、世間ではそうした力を“詐欺師的能力”と呼んでいる。
 「ペテン師」の5選がかかった東村山市議会議員選挙まで、あと5カ月に迫ってきた。