2010/11/10(
Wed
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3大デマのすべてにかかわった2人の人物
90年代半ば、創価学会をめぐって3つの大きな「デマ事件」が起きた。その中で唯一、いまも報道被害の余じんをくすぶらせているのは、95年に起きた東村山市議転落死事件だけである。3大デマを時系列に示すと以下のようになる。
□ 94年――白山氏冤罪報道事件
□ 95年――東村山市議転落死事件
□ 96年――信平狂言訴訟事件
いずれも民事訴訟において、明白な「デマ」であった事実が確定し、司法的に決着がついているものばかりである。多くが「週刊新潮」という週刊誌メディアが報道「加害」者となったものだが、それから15年ほどがすぎたいまも95年の東村山事件だけが“終息”しないのは、ひとえに同事件のそもそもの“デマ発信源”である東村山市議の矢野穂積が、いまも“暗躍”を続けているためである。
3大デマにおいて、デマを増幅させる働きをしたのは、職業柄、マスコミに接して仕事をしている者たちだった。一人は、若くして教団を脱会し、それを“飯のタネ”として仕事をしてきた乙骨某であり、もう一人は、「週刊新潮」編集部を退職後、現在、ノンフィクション・ライターとして仕事をしている門田隆将(本名・門脇護)である。
これらのデマ事件における乙骨の行動は、ジャーナリストのそれを完全に逸脱していた。94年の事件では、それらのデマ報道を国会議員に取り上げさせようとロビー活動に精を出し、95年の事件においても、すでにお粗末な「能力」が世に伝わっている。さらに96年の事件では、事実の裏付けもなく、「狂言」側に一方的に加担する陳述書を民事訴訟で提出するなどしていた。
2人の行動は、20世紀最後の未曾有の「デマ事件」に付随して、半永久的に刻印されることになる。
□ 94年――白山氏冤罪報道事件
□ 95年――東村山市議転落死事件
□ 96年――信平狂言訴訟事件
いずれも民事訴訟において、明白な「デマ」であった事実が確定し、司法的に決着がついているものばかりである。多くが「週刊新潮」という週刊誌メディアが報道「加害」者となったものだが、それから15年ほどがすぎたいまも95年の東村山事件だけが“終息”しないのは、ひとえに同事件のそもそもの“デマ発信源”である東村山市議の矢野穂積が、いまも“暗躍”を続けているためである。
3大デマにおいて、デマを増幅させる働きをしたのは、職業柄、マスコミに接して仕事をしている者たちだった。一人は、若くして教団を脱会し、それを“飯のタネ”として仕事をしてきた乙骨某であり、もう一人は、「週刊新潮」編集部を退職後、現在、ノンフィクション・ライターとして仕事をしている門田隆将(本名・門脇護)である。
これらのデマ事件における乙骨の行動は、ジャーナリストのそれを完全に逸脱していた。94年の事件では、それらのデマ報道を国会議員に取り上げさせようとロビー活動に精を出し、95年の事件においても、すでにお粗末な「能力」が世に伝わっている。さらに96年の事件では、事実の裏付けもなく、「狂言」側に一方的に加担する陳述書を民事訴訟で提出するなどしていた。
2人の行動は、20世紀最後の未曾有の「デマ事件」に付随して、半永久的に刻印されることになる。