日記

2010/11/02(Tue)
母親の死をもてあそんだ“あばずれ娘”朝木直子
 1995年9月1日に起きた亡朝木明代東村山市議の転落死事件は、実は同年4月に発生した朝木直子から矢野穂積への違法な「議席譲渡」がなければ、起きなかったと見られることは前回記したとおりだ。明代の転落死を受け、真っ先に「他殺・謀殺説」を唱え始めたのは、矢野穂積だけでなく、娘の朝木直子も同様だった。
 講談社発行の「週刊現代」には、母親は特定教団によって殺された旨の直子のコメントが掲載され、メイン・タイトルにもその言葉がそのまま使用された。事件直後のこの段階において、あるいは事件から15年すぎたいまも、そうした「謀殺」を示す客観的証拠はどこにも存在しない。朝木直子は、事件直後から、謀殺説を吹聴しながら、事件を捜査していた東村山署には寄り付こうともせず、事情聴取に応じることも一度もなかった。
 では、朝木直子と矢野穂積は、事件直後から、根拠もないままに、なぜ謀殺説を唱え始めたのだろうか。推測するに、2人には朝木明代の≪死の真相≫を隠さなければならない≪共通の特殊事情≫があったというべきだろう。それを何の罪もない教団に責任をなすりつけることで達成しようとしたわけである。
 特殊事情とは何か。ひとえに、「議席譲渡」事件による「転落死」への因果関係を、だれよりも2人が実感していたということではないか。つまり、≪死の真相≫を、世間には絶対に知られたくなかったからとも思われる。もしそうなれば、政治的立場を失いかねないという危機感が、2人をそうした行動に走らせたわけだ。
 さらに「議席譲渡」だけでなく、2人の個人的関係が、「転落死」に与えた影響もあながち否定はできない。
 いずれにせよ結局、朝木直子は実の母親である亡明代の死をいいように弄(もてあそ)んだ事実に変わりはない。血を分けた親とはいえ、親の死亡を自分の都合でいいように扱うことは、人間の道に反している。
 矢野穂積と朝木直子は、以心伝心の阿吽の呼吸で、「謀殺説」を強硬主張することを確認したか、あるいは事前にその旨の打ち合わせをしたものと推察される。2人は、自分たちの行動が朝木明代を結果的に死に追いやることになったという≪真相≫を隠す意図から、あえて証拠もないまま「謀殺説」を強硬に主張し、その重要容疑者として、創価学会の名前を出したのだった。この卑劣な行動は、けっして忘れられてはならない。