日記

2010/10/16(Sat)
「デマ男」のマインド・コントロールから抜け切れない「脱会者ライター」らの哀れ
 宗教専門紙「仏教タイムス」(週一回刊)が連載している「人間革命教団の虚と実」というコラムのなかで、最新の10月7日発行号では、「東村山の記憶 学会と闘い続けた故朝木市議」と題して、いまだに教団謀殺説に沿った“希少価値のある”記事が掲載されている。先月号では、「低劣右翼」の黒田某が発刊した書籍を「話題の新刊本」などとヨイショしていたので、どういう連中が書いているかがうかがえるが、今回のコラムも、10月2日に東村山市で開かれた「追悼集会」のことから話が始まる。集会に参加した段勲・乙骨某が無署名で書いているか、そのスジの者が書いているかのいずれかであろう。目立つのは次のような記述だ。
 「個人事務所で使用している電話代、光熱費等1円に至るまでの明細を公開。全国でも例をみない潔癖な市議会議員だったのである」
 もちろんこの記事の書き手は、「草の根」が次々に市民や議会に訴訟をふっかけ、市側に数千万円の応訴負担をかけたという事実などは一行も書かない。さらにそれらの訴訟で、草の根側がほとんど敗訴している事実などに言及するはずもない。記事ではさらに次の記述も見られる。
 「朝木議員は、脱会を望む創価学会の代理人のような立場になった。そうしたさ中の1995年9月1日夜10時頃、朝木議員は、東村山氏の駅前ビル5階から、転落死する」
 いわんとしている意図は明白だろう。元市議が死亡した「理由」について、一生懸命結びつけようとする「意図」だけが、まざまざと浮かび上がってくる。かといって、「政教一体団体を厳しく批判してきたオピニオン・リーダー」(東村山市民新聞HP)を自認するはずの市議会議員・矢野穂積が、彼らの論理に従えば、朝木明代につづき、いまだに殺されない不思議さなどについては何も書かれない。
 当時の時代状況からすれば、教団において脅威となっていたのは、希代のペテン師「山崎正友」のほうであり、朝木明代などは所詮は“泡沫扱い”にすぎなかった。教団側が草の根つぶしにこれまで本気になって取り組んでこなかった事実は、その後、朝木明代の遺志を受け継いだはずの「デマ男」矢野穂積が、3期にわたって市議会議員に「当選」し続けた経緯からも容易に証明できる。教団本体からすれば、「草の根」など、これまで本気で対策する必要性を認められなかった存在とさえいえる。そうしたことにも記事は一切ふれない。
 そうして記事では最後に次のような記述が置かれる。
 「遺族や朝木議員の周囲にいた後援者たちは、市に800万円も返上している朝木議員が、たかだか1900円のTシャツと命を引きかえるだろうか、と疑問を抱く」
 この執筆者は、万引きに手を染める行為が、所持金と関連性をもたないケースが多いことをなんら考慮しない。その意味では「ど素人」の文章とさえいえる。
 結論として、この記事の執筆者は、いまだに「デマ男」の“マインド・コントロール”から抜け切れていない。「脱会者ライター」は、教団憎しの潜在意識が働くためか、物事を冷静・客観的に見れない傾向をもつ。そうした特徴をいとも簡単に利用し、コントロールされてきた。その実態は、「言論の自殺行為」といいかえてもよい。いまだにこんなスタンスで記事を書いているのは、日本広しといえど、段・乙骨一派くらいなものだろう。