日記

2010/10/14(Thr)
「草の根」という名のナチス流「全体主義」勢力
 「草の根」という言葉は、俗に“草の根民主主義”というように、肯定的なイメージでとらえられることが多いが、東村山市議会の政治勢力「草の根」は、そうしたイメージとは似ても似つかない代物である。95年に転落死した朝木明代市議が所属していたことで“全国区”となったが、この名前と実態の「落差」を生んでいる最大の要因は、矢野穂積という名の一人の市議の特性によるところが大きい。
 東村山の「草の根」の特徴は、自らの非を絶対に認めることのない独善的体質、さらには批判者には徹底的に反撃し、脅しをかける行動。その手段として、ビラや新聞などの“紙爆弾”を活用し、定期的に市内全土にばらまくプロパガンダ的行動。その紙爆弾も、事実を歪曲し、自らの都合のいいように“改変”した情報を満載させ、読者のイメージ操作を最大限活用したものだ。ウソも100遍唱えればそれが真実になる、との姿勢が露骨で、このような行動は、世界各地の共産主義政権・政党で多用されてきた。
 東村山の「草の根」を見て、近時の領土問題で本性をわかりやすく日本国民に伝えることになった隣国の横暴を想起する人もいるし、さらにはナチス・ドイツなみの巧みな宣伝戦になぞらえる人もいる。いずれも「草の根」の本質と通底していることは間違いない。
 共通しているのは、「全体主義」、あるいは「独裁主義」といってよい顕著な体質であろう。平たくいえば、「言論の自由」をけっして認めようとしないあからさまな信条とも言い換えられる。
 本来なら、議会内で当然のこととして認められるはずの請願権も、こうした“異常体質”の前には、訴訟ざたに持ち込まれる始末だ。彼らは、言論の自由を、行動としてけっして認めようとはしない。
 東村山の「草の根」は、名称は「草の根」ではあっても、その実態は「ミニ・ナチス」ともいうべき手法をとってきた。その名前と実際との落差は、羊頭狗肉という言葉では表しきれないレベルにあるようにみえる。
 市民騙しの“詐欺的手法”は、上記のビラ宣伝の内容においても徹底されており、「背景知識」をもたない市民がそれらを目にすると、無意識のうちに影響され、丸め込まれてしまうということの積み重ねであったといえよう。こうした手法を可能にしているのも、ひとえに「草の根」を率いる「矢野穂積」の人格に帰着する。
 日本の地方議会に咲いた「あだ花」ともいえる存在、東村山の「草の根」――。彼らの“詐欺的”な政治行動は、市民や議会に次々に訴訟をしかけ、東村山市に数千万円もの応訴費用を負担させながら、それでいて歳費の一部を返上したなどと“逆宣伝”している市民騙しのプロパガンダにも象徴されている。ウソも100回繰り返せば真実になる――。この概念を20年以上にもわたって、日本で最も忠実に実践してきた勢力が、東村山の「草の根」であり、政治行動に「詐欺」を持ち込んだ典型的な手法といえよう。