日記

2010/10/09(Sat)
「矢野穂積」の得票変動を読む
 明年4月24日、東村山市議会議員選挙が行われる。朝木明代が初当選した1987年から2007年までの「草の根」各候補者の得票結果は以下のとおり(数字は91年以降)。

 【1991年】 (定数28 立候補35)
  朝木明代 2904票 1位

 【1995年】 (定数27 立候補34)
  朝木明代 2622票 1位
  朝木直子 1926票 4位
  矢野穂積 1249票 28位  ※次点にて落選

 【1999年】 (定数26 立候補35)
  朝木直子 3208票 1位
  矢野穂積 2159票 5位

 【2003年】 (定数26 立候補30)
  朝木直子 2996票 1位
  矢野穂積 1498票 24位

 【2007年】 (定数26 立候補28)
  朝木直子 3403票 3位
  矢野穂積 1639票 26位  ※最下位当選

 次に「草の根」全体の得票推移をみてみよう。

 【1991年】 2904票 (1人)
 【1995年】 5797票 (3人)
 【1999年】 5367票 (2人)
 【2003年】 4494票 (2人)
 【2007年】 5042票 (2人)

 97年、議席譲渡裁判の最高裁確定判決によって矢野穂積が議席を失ったことで、草の根議席はいったんはゼロとなった。明代は転落死、直子は当選辞退したためである。ところが明代の“弔い選挙”となった99年には、同情票を集めたのか、かなりの得票を得る。上記からうかがえることは、大きく得票が落ち込むのは03年で、07年にはむしろ盛り返した経緯がある。驚くべきことは、矢野穂積という「デマ男」を支持する市民が前回選挙時において、東村山市に1600人余りも存在するという事実だろう。この1600人に矢野市議の「本質」と「実態」をいかに正確に伝えるか、同人を東村山市議会から“追放”するためのカギになると思われる。