日記

2010/08/26(Thr)
鹿児島県のお騒がせ「市長」と東村山のお騒がせ「市議」
 鹿児島県阿久根市の竹原信一市長が市議会を開かないまま専決処分を繰り返していた問題で昨日、約半年ぶりに市長が市議会に出席したというニュースが報じられている。竹原市長の解職請求(リコール)に必要な署名数も集まり、住民投票の実施が確実視されているという。テレビで見る限り、同市長は独善性のかたまりのようにも見え、さらに自己愛の強そうな人物だ。何度もこの人物に関するニュースを目にすると、そういえば、東京にも似たようなタイプがいるなと多くの人が思い当たるようだ。東村山の「お騒がせ市議」として知られる矢野穂積のことである。
 どちらも“お騒がせ”な人物として似通っている。鹿児島県のお騒がせ市長は、市議会議員らと協調することができず、独善的に自分の正当性を推し進めるあまり、常識では考えられないような事態に陥った。一方の東村山のお騒がせ市議も、市議会やその関係者と協調するという姿勢に欠け、独善的に自らの正当性を主張し、市議会や市議会議員、市民らに次々に100件を超える「訴訟」を起こしてきた。
 竹原市長は問答無用の「専決処分」で、矢野穂積は議会で解決すべき問題ですら法廷の場に持ち出し、問答無用の「訴訟攻め」で、敵対する勢力を攻撃してきた。専決処分と訴訟という手段の違いは見られるものの、その根底にある「人格」は極めて似通っているように見える。ちなみに、サイコパス研究の第一人者であるカナダのロバート・ヘア博士は次のような言葉を残している。
 「サイコパスは社会の捕食者であり、(中略)情け容赦なくわが道だけをいき、心を引き裂かれた人や、期待を打ち砕かれた人や、からになった財布をあとにのこしていく。良心とか他人に対する思いやりにまったく欠けている彼らは、罪悪感も後悔の念もなく社会の規範を犯し、人の期待を裏切り、自分勝手にほしいものを取り、好きなようにふるまう」
 さらにロバート・サイモンという学者も次のように記す。
 「サイコパスの多くは、目には目をの粗暴で原始的な良心を、大人の良心へと発達させることができない」
 これらはまさに2人のお騒がせ人物にそのままぴったりと当てはまる言葉であろう。いずれも選挙で選ばれた「公人」であり、その責任は、地域の有権者にあることはいうまでもない。