日記

2010/08/20(Fri)
東村山市議の「邪悪」な側面
 あと10日余りで1995年9月1日から数えて15年の節目となる。東村山女性市議が転落死して物議をかもしたあの事件だ。女性市議は自らの万引き事件を苦にした結果の「ためらい自殺」だったという見方が根強く、またそのような形で事件は収束しているが、8月下旬のこの時期、転落死した女性市議は検察庁から呼び出しを受けており、そのせいか挙動不審の行動が目立っていた。
 この事件で、「謀殺説」をもっとも熱心かつ執拗に広げようとしたのは、転落死した女性の同僚市議であった「矢野穂積」である。矢野は、警察の捜査が終わらない段階から、マスコミ関係者に「殺された!」とリークし、積極的に「謀殺説」を煽った。
 仮定の話として、この人物がまともな人間であり、本当に「謀殺」の側面があったとしたならば、まずは警察捜査の行方を見守っただろう。さらにマスコミに向かってそれを主張するのではなく、捜査にたずさわる警察に対し、そのことを強く主張したにちがいない。加えて、転落死した女性市議が最後にとどまったと見られる「草の根事務所」への捜査も、警察に進んで行わせたはずだ。なぜなら、転落死した女性の靴はどこにも見当たらず、事務所にあった可能性が高かったからだ。だが、矢野は事務所内の警察捜査をなぜか拒否した。
 転落死事件の翌朝、事務所を取材で訪れた某社の新聞記者は、女性の靴が脱ぎ捨てられていたことをすでに発見していた。その記者がもう一度事務所を訪ねてみると、その靴は忽然と姿を消していたともいう。
 矢野にとっては、警察が「自殺」と判断するか「他殺」と判断するかの決定を待つ前に、マスコミに向かって「謀殺説」を声高に主張しなければならない『理由』があったことは明らかだ。女性が転落死にいたる原因について、同人がよく認識していたからだとも思われる。万引き事件をなきものにしようと工作したアリバイづくり、洋品店への意趣返しの行動、すべてが裏目に出て、女性は転落死にいたっているからだ。その過程をだれよりも知っているのは、一緒に行動してきた矢野穂積以外にいなかった。
 矢野は彼女が殺害されたわけでないことを十分に認識していたはずだと考える。それでも同人は最初から「謀殺説」を主張し、執拗に繰り返してきた。そのような一連の行動を指して、私は≪良心の呵責の欠如≫をまざまざと感じないではいられない。同人について「サイコパス」(=良心の呵責を欠いた異常人格)と指摘するのは、理由のないことではないのだ。東村山市民は矢野が裁判などで市民らを脅す姿をみて矢野を「パラノイア」(偏執病)と指摘したが、私は別の側面から彼を「サイコパス」と指摘しているにすぎない。
 矢野は転落死した朝木明代とは、世間でいう単純な同僚市議という関係にとどまらず、“骨がらみ”の関係にあった。事件の背景には、2人の特別な人間関係が切り離せない。
 仮に欧米の犯罪心理学の専門家が、矢野穂積の過去の行動と人格を診断すれば、ほぼ間違いなく同人は「サイコパス」と診断される。カナダのサイコパス研究の第一人者を直接取材したうえでの私の感想である。