日記

2010/04/05(Mon)
デマに群がった男たち
 1995年の統一地方選挙からちょうど15年目となる月に入った。直接選挙を否定する議席譲り渡し事件で「全国区」となった東京・東村山市だが、この事件が女性市議の転落死の“遠因”になったと見る人は多い。一連の事件の当事者である矢野穂積は、「女性市議は殺された」などのデマを当初から主張したが、このデマをジャーナリストの立場で“拡大”した者たちの責任も永久に残る。それらは活字として残されているので、群がった者たちがだれであったかは後世の人々にも明白だからだ。
 デマ扇動に貢献した第一人者は、「週刊現代」や「週刊新潮」などのメディアを除くと、いうまでもなく、「乙骨正生」が筆頭に挙げられる。創価中学を卒業後、成績不良のため創価高校に進学することができず、一般の高校を卒業後、2浪して創価大学に入った経歴の持ち主。経歴ひとつに同人のぬぐいがたいコンプレックスが垣間見えるようだが、大学時代に“希代のペテン師”・故山崎正友らの策動に同調し、「脱会」した人物である。
 矢野穂積が主張した上記の主張は、その後、確たる事実的根拠も示されないまま、今日に至っている。矢野の主張した荒唐無稽なデマに関連し、これまで多くの裁判がなされてきたが、同人の唱える「他殺説」の真実性が認められたことなど、ただの一度もない。所詮は、事実的根拠もなく、騒いできただけの人物である。
 来年4月、矢野穂積が東村山市の市議会議員選挙に出馬するとなれば、こんどで5期目の選挙となる。わずか1年後に迫った話だ。
 矢野は、サイコパス(=良心の呵責をもたない特異人格者)が市議会議員になった場合のわかりやすい事例として、記録にとどめられるべき人物だと考える。さらにそうした人格特性をもつ人物にいいように“操作”されてきた愚かな言論人・乙骨某の名も、≪デマ扇動の協力者≫として、永遠に刻印されるべきであろう。