日記

2010/03/20(Sat)
矢野穂積がサイコパスでなかったら
 1995年の地下鉄サリン事件から15年を迎える。思えばこの年は異様な事件が相次いだ。年頭から神戸地域を大震災が襲い、警察庁長官は銃撃された。同年9月に起きた女性市議の転落死も、この年の異常事件の一つにあげられよう。
 以下はすべて推測の範疇になるが、矢野穂積という市議会議員がもしもその人格に“良心の呵責”を兼ね備えていたとしたら、東村山の事件はどう展開していただろうか。女性市議の転落死事件は、以下の時系列でつながった一連の過程のなかにとらえられるべきと考える。

 (1) 落選した「矢野穂積」が議席譲渡で議席を“奪取”(4月)
 (2) 東村山市内で大きな騒動となる(4月〜)
 (3) 朝木明代が市内の洋品店で万引きを行う(6月)
 (4) 朝木明代と矢野穂積がアリバイ工作で徹底抗戦(6〜7月)
 (5) 朝木明代が突然の転落死(9月)
 (6) 矢野穂積が「他殺説」を強硬に主張(9月〜)

 結論からいうと、矢野が通常の“良心の呵責”を兼ね備えた人間であったと仮定すれば、(1)(4)(6)の行為はなかった可能性が高いと思われる。(1)と(4)の過程がなければ、当然、この事件の核心部分となった(5)の結末も生じていなかっただろうと考える。
 すべては(1)の矢野の“インチキ当選”がそもそもの発端であり、まさにそれをなさしめたものは、矢野特有の人格というほかない。仮に朝木直子が当選を自発的に辞退したとしても、矢野はそれを阻止すべき立場であり、その逆ではなかった。はっきりしていることは、矢野穂積という一人の人間が、いかに東村山の地域社会を振り回し、かき回して生きてきたかという現実である。
 良心の呵責をもった人間なら、請願人を民事訴訟で訴えるなどという行為も起こりえないはずだ。同人がサイコパス、あるいはサイコパスに近い人物であることを証明する材料には事欠かない。