日記

2010/01/10(Sun)
“ペテン師”矢野穂積らの荒唐無稽な「他殺説」
 95年9月1日夜、朝木明代が転落死したビルで、明代がだれかと争った声を聞いた者は一人もいない。5階の住民も、そんな声は一切耳にしていなかった。もしそのときそのような事実が仮に確認されていたとすれば、当然、東村山署は「自殺の疑いが高い」などと広報することはなかったはずである。現場では何の音もなく、突然「キャー」という悲鳴にも似た声がこだましただけであった。
 このため矢野穂積らは、「他殺説」に固執しなければならない事情があったために、荒唐無稽な推論を作り出す。明代を特殊な睡眠剤のようなもので眠らせ、大きな段ボールか何かに入れて駅前の一等地のビルまで運び、5階から真下に落としたというものだ。この推論は、突然、「キャー」と叫んだ事実と、手すりにぶら下がった痕跡が残されていた事実と真正面からぶつかることになった。「キャー」と叫んだからにはその直前に意識は戻ったはずであり、そう叫ぶより先に「助けてー」などと救助を求めるほうが先のはずだからだ。さらに手すりにぶら下がる時間的余裕があったのなら、なおさら真っ先にそう口にしたはずである。だが、転落後のハンバーガー店員との会話においてさえも、そのような言葉は明代の口からは一切出ないままだった。
 さて、大きな段ボールか何かを荷車などでひいて5階まであがったはずの“間抜けな犯人”は、その後どうしたのだろうか。「キャー」と叫ばれたからには、住民が飛び出してくることも想定しなければならない。その場で「御用」になる可能性も高い。たとえ逃げたとしても、顔や容姿を見られることを当然に覚悟しなければならない。つまり、矢野一派の「他殺説」なるものは、最初から≪破綻した推論≫にすぎなかった。
 推理小説の題材にもならないような荒唐無稽な架空話をでっち上げ、「他殺説」を組み立て、警察捜査に難クセをつけ、「デマ」をふりまいてきた矢野穂積ら。なぜこんな行動が世の中でまかり通ることができたのか、今となっては、むしろそちらのほうが不思議である。