日記

2010/01/05(Tue)
“ペテン師の典型”矢野穂積はなぜ「虚言」を重ねるか
 女性は通例、カギの類をどうやって持ち運ぶか。男性と違ってポケットが常に付いている服装とは限らない。その場合、バッグなどに入れるのが通例だろう。
 95年の東村山女性市議の転落死事件の際、所在不明だったカギはなぜか日を置いて転落現場となったビルの2階から発見された。だれかがそのカギを後で現場に持ち込んだ可能性が高いと見られている。ではそのカギはもともとどこにあったのか。
 普通に考えれば、バッグの中にあったと見るのが自然であろう。だが、肝心のそのバッグは、「草の根」事務所内におかれていた。このことは争いのない事実のようである。もし仮にバッグの中にかぎが残されていたとすれば、実際は事務所は施錠されていなかったことになる。当初から「戻ってみると事務所にはカギがかかっていて‥」と主張してきたのは矢野穂積だけで、それを裏付ける根拠は実は存在しない。ではそう述べる矢野とはいかなる人物か。自分を守るためなら平気で訴訟を使った脅しを行うほか、証拠もない段階から「他殺だ」「教団関与だ」と騒ぎたててきた≪異常者≫であり、裁判所からは「パラノイアといわれても仕方がない」と認定された人格面に欠陥を指摘されている人物にほかならない。
 つまりこういうことが言えよう。矢野穂積にとって重要なのはそもそも「事実」などではなく、自己に都合のよい「一方的主張」にすぎないのだ。もし事実の解明を待ちたいと本当に思っているのなら、わからないことは「わからない」と正直に答え、決して意図的な情報操作など行わなかったはずである。その意味では、同人が当初から主張してきた「他殺説」「教団関与説」など、≪推測≫というよりはむしろ同人の≪願望≫でしかなく、公職たる市議が、自らの願望のみで、そう述べてきたにすぎない。その上で、警察捜査に積極的に協力しなかったにもかかわらず、「警察のほうが捜査しなかった」などと事実をあべこべに捻じ曲げ、自己PRに努めてきた。
 同人の行動パターンはプロパガンダを得意としてきた日本共産党式の方法そのものであり、自分にとって都合の悪い事実を隠すために、特定の意図をもつ情報を積極的に発信するという手法に塗り固められている。
 話を元に戻すと、「教団関与」を示す証拠など、いまにいたるまで、どこにも存在しない。ないからこそ、矢野らは週刊現代裁判で、都合よく供述を180度変転させてその責任をすべて講談社になすりつけたのであり、教団関与説が司法において認定されたことなど、当然ながら一度もない。要するに事実的根拠のないことを同人は、一方的に、ただひたすらに、延々と主張してきたことになる。なんのためか。結局は、責任が自らに向かう事態を避けるためであり、教団はそのためのスケープゴートにすぎなかったといえよう。
 人間として、なんと卑しく、唾棄すべき行為であろうか。「人権」という意味をこれほど理解していない公人も世に珍しい。