日記

2009/12/22(Tue)
東村山の「本当」の闇(続々々)
 95年9月の女性市議転落死から始まった一連の流れを一般紙で振り返ると、当時の異様な社会状況がまざまざと浮かび上がってくる。さらに矢野穂積という人間の「悪運」の強さにも背筋を冷たくせざるをえない。以下にその一端をご紹介する。

 9月 2日  朝木明代市議の転落死
 9月 4日  朝木明代の葬儀
 9月 4日  一連の「オウム公判」が東京地裁で本格化
 9月 6日  合同捜査本部が「坂本弁護士夫妻」の遺体を発見(新潟・富山)
 9月 7日  「週刊文春」「週刊新潮」「週刊宝石」が一斉に横並び報道
 9月10日  合同捜査本部が「坂本龍彦ちゃん」の遺体発見(長野)
 9月11日  「週刊現代」「週刊ポスト」も横並び報道

 矢野にとっては都合のいいことに、同僚市議が転落死した時期に符合するかのように、オウム真理教による坂本さん一家殺害事件に関する神奈川県警・警視庁合同特別捜査本部の遺体捜査が1000人もの捜査員を動員して一斉に行われ、初日に夫妻の遺体が発見された。当時の新聞はこの事実を大々的に報じている。さらに数日後には坂本さん一家の子どもの遺体も別の場所で発見された。
 この年の3月、オウム真理教による地下鉄サリン事件で世論やマスコミはこの問題で一色となり、その刑事事件が始まる時期でもあった。矢野穂積らにとってこれほど「好都合」なことはなかった。
 当時、一般社会に広がっていたある種の心情を基盤にして、「オウムの事件と同じ」「拉致された」「殺された」と述べるだけで、世論を誘導できる結果につながったからだ。事実、週刊誌は上記のように横並びで≪誤報≫を連発。「週刊現代」と「週刊新潮」はそれぞれ賠償金を支払う結末となった。その要因となったのは、矢野穂積らの意図的な扇動行為にほかならない。
 たとえ客観的証拠は皆無でも、ただ「殺された」と叫ぶだけで、自分の都合のいいように世論誘導できた異常な当時の社会状況。それでいて、靴が置かれた可能性の強い事務所内を意図的に捜査させず、「靴は残されていなかった」との都合のよい主張を繰り返した。
 当時の異様な社会環境のもとでは、間違いが起きたことも、後世のための試金石として振り返ることはできよう。だが本当の「東村山の闇」は、すでにそういうところにあるわけではない。事件から数年たって、この事件の本質が浮き彫りにされている段階にあっても、こうしたペテン師らの言い分をそのまま本にした「第三書館」のような出版社の存在や、さらにはこうした市議会議員にいまも票を投じつづける東村山市民の存在こそ、現時点における「本当」の東村山の闇なのである。