日記

2009/12/21(Mon)
東村山の「本当」の闇(続々)
 東村山転落死事件の「闇」を解く本当のカギは、“消えてしまった靴”にとどまらない。あれほど「母親は殺された」とわめいた実娘・朝木直子市議が、警察捜査に協力せず、最後まで事情聴取に応じようとしなかった「史実」にもそれは象徴されるだろう。
 直子は「週刊現代」の取材に対し、「殺された」と当初から主張しながら、実際に記事化され、訴訟ざたになって一転、そうした発言を現代記者に「しなかった」と主張を180度“転換”した。驚いたのは、発行元の講談社だろう。それらのことは判決文にも明確に記載されている。当時から朝木ら「草の根」一派を主導していたのは矢野穂積であったことは明白だったから、矢野の影響力が強く作用したと見るのは自然であろう。
 朝木直子が事情聴取に応じなかった陰にも、矢野の影響を切り離すことはできない。なぜ直子は警察で事情を話すことができなかったか。唯一の合理的な回答を探すとすれば、既成事実が確定し、虚偽主張が根底から崩れてしまう事態を是が非でも避けたかったから、としか思えない。
 事実、転落死した母親の朝木明代は、万引き事件のアリバイ工作で「役者」に徹することができず、議場であるいは警察署で、多くのボロを出してしまい、事実上、自滅してしまった。同じ轍を踏ませることはできないとの心理が働いたとしても、けっして不思議ではない。またそうした自滅行為が、明代を転落死に追いやった最大の要因であったと見ることさえできる。
 以上の事実は、消えてなくなった靴とともに、この事件の「特異性」を象徴しているようだ。どのような理屈をつけようと、肉親が殺害されたと主張する遺族のとるべき合理的な行動には映らない。