日記

2009/12/18(Fri)
東村山の「本当」の闇
 ノンフィクション作品としてはおよそ事実を正確に反映していないという意味で劣悪な書物『怪死〜東村山女性市議転落死事件』(乙骨某著、1996年)を再読してみる。そのまま引用してみよう。
 「朝木さんは発見された際、靴をはいていなかった。その後の捜査でも現場付近から靴は見つかっていない。自宅にも、『草の根』事務所にも、当時はいていた靴は残されていない。このことから遺族や関係者は、靴がないのは、誰かに連れさられた可能性を窺わせる事件性の根拠と見ている」(P31)
 一方で、宇留嶋瑞郎著『民主主義汚染』(1998年)には、次のような正反対の記述がある。
 「『草の根』事務所では、昔喫茶店だった名残で、1階は椅子やテーブル置場、2階を事務所として使用しているという。2階には靴を脱いで上がるのだが、明代の転落死情報を聞きつけて、『草の根』事務所を訪ねたある記者が、女性ものの靴が脱ぎ散らかした状態のままになっているのを目撃していた。すなわち明代は転落死の直前に靴を脱いだのではなく、たんにはかなかった、あるいは靴をはく余裕もないまま事務所を飛びだしたのかもしれなかった」(P169)
 さらにそれから5年後に発刊された佐倉敏明著『デマはこうしてつくられた。』(2003年)でもそのへんの記述は一層クリアになる。
 「『発見されない靴』についても、明代の転落死直後、『草の根』の事務所に女性物の靴が脱ぎ捨てられているのを、新聞記者が目撃していたという」(P145)
 重要なことは、これら2冊の目撃記述について、訴訟を連発することで知られる矢野穂積が、名誉棄損で訴えることを一切しなかったという事実であろう。冒頭の乙骨某の記述を因数分解してみる。
 (A) 朝木さんは発見された際、靴をはいていなかった。
 (B) その後の捜査でも現場付近から靴は見つかっていない。
 (C) 自宅にも、『草の根』事務所にも、当時はいていた靴は残されていない。
 (D) このことから遺族や関係者は、靴がないのは、誰かに連れさられた可能性を窺わせる事件性の根拠と見ている。
 上記の(A)と(B)は客観的に疑いようのない確定事実である。問題は(C)の記述部分だ。これを示す客観証拠は実は存在しない。あるとすれば、矢野穂積らの「証言」のみであり、事実、上記のようにまったく反対の指摘すら存在する。ここはいまだ確定されていない≪グレー・ゾーン≫の部分としか言いようがないだろう。
 大事なことは、東村山署からの捜査要請に対し、矢野穂積らが、草の根事務所も朝木の自宅も「捜査させなかった」という歴然たる事実のほうだ。さらに同人の「特異」な人格特性にも注目する必要がある。
 乙骨某の記述した(C)部分が真実であることを確定させるためには、最低限、その証言者が「嘘をつかない人物である」ことが≪必須条件≫となる。だが、実際は逆である。「週刊現代」裁判などでもそのことは判決文などでいかんなく証明されてきた。むしろ“ペテン師”と形容するほうがふさわしい人物である。
 当然、(C)の判断を間違えば、(D)という結論も異なってくるのは容易にご理解いただけるはずだ。
 以上が、東村山事件を解明するための「本当の闇」の部分といえるのかもしれない。