日記

2009/07/19(Sun)
瀬戸某にも渡来人の血は流れ、朝鮮半島と分かちがたく存在する
 今後は関わりを控えたいと自分で書いたものの、こちらが書いたことが相当気になるらしく、瀬戸某は先週、さいたま地裁川越支部でたまたま顔を合わせたときも、「おれのこと朝鮮と書くな、書くな」とそればかりを当方に懇願してきた。当方は「事実関係しか書いていない」「何を書こうとこちらの自由である」と答えたが、やはり同人は相当に気になる模様だ。
 そこで書いたことはそれほど難しいことではない。日本という国と東アジアの密接な古代からのかかわりからして、日本民族と言おうと、日本人には多くの朝鮮半島や中国大陸の血が入り混じった存在であり、だからこそ、自分たちの民族が優れ、他民族より優位であるとの考え方はばからしいものであり、今後の関係において、なんら益をなすものではないということを述べたにすぎなかった。その上で、古代から朝鮮半島や大陸から多くの「渡来人」を受け入れ、彼らから文字や稲作などを学んだ関係を指摘し、日本人のすべてに「渡来人」の血が流れている事実を述べたにすぎない。
 瀬戸某はそのことには事実上反論できず、半ば認めたかのようである。彼の書いた言葉は、「わたしは日本人混血説を採らない」というだけのもので、これは歴史上の史実とはまったく異なっている。
 現在、日本の外国人比率は1・7%だが、渡来人の存在は当時の「人口の3割」などの規模であった。まさに日本人の祖先が半島や大陸からの渡来人なのである。
 かわって同人は、血の問題を民族の問題にすり替えた。要するに血統ではなく、文化などを含む(?)民族性のみが問題であるというのである。それならば彼らはむしろ、外国人参政権に反対するのではなく、帰化制度そのものに反対すべきであって、逆に自分たちの主張の矛盾を広げる格好になっているようだ。
 結局のところ、瀬戸某にも渡来人の血は明確に流れ、同人も朝鮮半島と分かちがたく存在する人間にほかならない。それだけのことである。それを認めるかどうかは本人の自由だが、日本という国家の成り立ちは、そういうものであるということだ。当然ながら、これは物事のよしあしの話ではなく、日本民族が日本列島に単独で古来から存在したものでなく、近隣諸国・民族と分かちがたい「関係性」を有しているという事実的関係を言っているにすぎない。その事実を認めるかどうか、単にそれだけの話である。
 古代よりそのようにして成立してきた日本人であるにもかかわらず、その祖先に連なる人々をあからさまに差別し、「自民族優越主義」に則って“自己満足”に浸っている瀬戸某らの姿は、同じ日本人として、同じ人間として≪恥ずべき姿≫である。そう言いたかっただけの話である。