日記

2009/03/29(Sun)
明らかに「誤認」の東京高裁判決
 今回の高裁判決は、驚くことに矢野絢也の陳述書や法廷における証言(尋問内容)を「証拠として認定するのが相当」と判断した。さらに妻の満子や女性秘書の証言についても同様である。この判決の最大の「誤認」はこの点にあるように個人的には感じられる。
 矢野絢也は自らの陳述書において、例えばこんな主張をしていた。
 「自分で(※手帖を)燃やすなどと言ったことはありませんし、言うはずもありません」
 「これからもしばしば来てほしいと言うわけがありません」
 だが、音声データには、そうした発言が厳然と記録されていた。さらに妻の陳述書などでは、3人に着替えているところを覗かれ「キャー」と悲鳴をあげたなどと書いていたが、音声記録にはそんな声は一切記録されていなかった。
 もとより、音声データが改ざんされたものなどとは私個人は考えていないが、元あった音声を削除することは物理的に難しいことではない(ただその場合、痕跡を残さないでできるとの矢野側主張について論及する知識を私はもたない)。だが、もともと存在しない音声を作ることは不可能に近い。
 その意味で、上記の矢野の主張は、書面上からも≪うそ≫であることは明白に認定できたはずだ。さらに今回の高裁判決は荒唐無稽な「キャー」発言すら、事実として認定してしまうことになる。明らかに、厳密さを欠く判決である。
 妻の矢野満子は、「渡せ、渡せの強引な押し問答でございました」などと法廷で証言していたが、そんな音声もデータ上はいっさい記録されていない。またそうしたやりとりがずっと続き、それらが丸ごと削除されているという矢野側の主張が正しければ、録音時間は実際の会見時間よりもかなり短くなったはずである。だが今回の高裁判決では、そうした点の精査すらない。厳密さを欠くというのはこういう点にも当てはまる。
 「物証」という明らかな証拠よりも、自らの推測のほうを優先するような判決は、判決として信頼性に足るものだろうか。
 矢野は別の裁判でも、明らかな偽証をたびたび重ねている。現職議員(党書記長)だった時代に、自分の秘書だった男性を知り合いの企業グループに紹介し、その男性が社長として業績をあげると、(1)男性からたびたび裏献金をもらっていた事実(2)その男性の会社に自分の私設秘書の給料を支出させていた事実(3)山本高校同窓会の小切手200万円をこの会社が現金化した事実への関与――など、自分に都合の悪いことはすべて「知らぬ存ぜぬ」で通している。
 当事者の人格特性を見抜くことのできない裁判官に、正しい事実認定などできようはずはない。その結果、ウソつきが正直者となり、逆に証拠に基づき正しい主張をした者がウソつき扱いされることになる。こんな裁判がまかり通れば世の中は狂ってしまう。