日記

2009/03/22(Sun)
「パラノイア議員」と連携してきた「正信会出身」のジャーナリスト
 違法盗聴もいとわない謀略集団・日蓮正宗「妙観講」(代表・大草一男)が事実上発行する新聞「慧妙」が最新号(3月16日号)で、「正信会が宗教法人を取得!」と大騒ぎしていた。正信会とは、日蓮正宗の前々法主の細井日達が管長(法主)であった時代に細井派だった若手僧侶たちで、“希代のペテン師”山崎正友や原島嵩らと連携し、創価学会批判の急先鋒となった宗内派閥だ。ところが日達の急逝により、法主が阿部日顕に交代すると路線は変更され、日蓮正宗から追い出された。その団体が独自の宗教法人を取得したといって、日蓮正宗側が今ごろになって大騒ぎしているのである。
 歴史的経緯からすると、正信会は、日蓮正宗とも創価学会とも180度“対立”する団体にほかならない。ところが大学卒業後、その正信会の機関紙「継命」に就職したのが、あの乙骨某であり、同人は90年代初頭までそこに勤めていた。乙骨は父親の代から数えれば、次のような宗教的・政治的変遷を経てきた人物だ。

 日本共産党 → 創価学会 → 正信会 → 日蓮正宗

 敵から敵へと何の節操もなく、何度も寝返ってきた履歴である。現在、反学会ジャーナリストなどといわれているが、その本質は、教団を“金儲けの道具”にしているだけの男にすぎない。いわば、“渡り鳥”ともいうべき存在であり、思想・宗教的にも論理的な一貫性はまったく感じ取れない。
 冒頭の日蓮正宗系機関紙「慧妙」に、“天敵”であるはずの正信会機関紙編集長を務めた乙骨某の著作が大きく広告掲載されるのも、同人の“裏切り人生”を象徴している事柄にほかならない。
 そんな人物がこれまで親密に付き合ってきた一人が、東京・東村山市議の矢野穂積である。矢野はいまも自身のホームページ上で「朝木明代議員謀殺事件の首謀者は許さない!」などと事実的根拠もなく、都合のいい自説をわめきちらしている人物だが、白を黒と言い換え、自己保身を維持する「能力」だけは天下一品と見られている。
 そもそも朝木明代と矢野穂積は、不倫関係を疑われる事実をさまざま指摘され、そうした関係などの上に、明代を精神的にも「支配」する間柄にあったと見られている。その明代が万引き事件で警察の事情聴取を受け、矢野にとって死活問題となっていた矢先に起きたのが、95年9月の明代の転落死事件だった。
 矢野はこれ幸いと、教団による「謀殺説」を確たる根拠もなく主張し、その結果、これまで多くの裁判で敗訴を繰り返してきた。裁判ではただの一度も「謀殺」などと認定された事実はない。こうした悪質なプロパガンダを繰り返す市議会議員の実態は、地元では「訴訟マニア」として知られ、政敵となる市民なども平気でターゲットにする。訴訟が正当な権利として使われるのではなく、逆に「訴訟テロ」として利用されてきた。
 そのため、市民らに「パラノイア」(偏執病)と指摘され、これに激怒した矢野穂積らは97年12月、市民らを名誉棄損で民事提訴したが、2004年3月、東京地裁八王子支部は「当該論評の前提たる事実もまた相応の根拠がある」と認定し、矢野側の請求を棄却。矢野は控訴したものの、途中で諦めたのか一転して取り下げ、05年9月にこの判決は確定した。要するに、市民に「パラノイア」と評価されても仕方のない人物である、と司法に認定された男なのである。
 いまは「思考能力ゼロ」の右翼などを使って、自己弁護に躍起になっているのが実情だ。
 矢野穂積は四国・愛媛県の出身という。このサイトでたびたび取り上げる同じ「矢野姓」の矢野絢也も、祖父が矢野穂積と同じく伊予(現在の愛媛県)の出身で、先祖をさかのぼると四国の海賊であったことを公言している。国会議員と地方議員という違いはありながらも、平気でウソをつき、自己保身に固まっているという点では行動パターンもまったく似通っている。
 2人は意外にも、同じ先祖を持つ「遠い親戚」ではないかと推測している。