日記

2009/02/14(Sat)
司法認定の「パラノイア」を集会に呼ぶ人々
 昨日の墓穴裁判のつづきになる。場所は変わって東京・東村山市。ここには気にくわない相手を見ると「訴訟するぞ」などと脅し、数十件もの訴訟を行ってきた“名物”の「市議会議員」が存在する。矢野は矢野でも、「矢野穂積」という名前である。
 矢野は地元・東村山で活動する「草の根グループの議席の私物化を許さない会」という市民団体が発行した「手を結ぶ市民のニュース」の記述をめぐり、名誉棄損で過去に関係者らを訴えたことがある。たとえば、97年9月1日付号外では次のような記述があった。
 「矢野氏は物事を自分本位に解釈して、訴訟を計画し、これをもって時には脅し、執拗なまでに実行します。また自分の憶測を理屈づけ、朝木直子さんという媒体を巧みに利用し、多くの市民を味方に惹きつけようとしています。精神分析のリポートによりますと、パラノイア(偏執病・妄想病)の中でも好訴妄想者がこうした傾向を示す場合が多いと云います」
 上記はこの訴訟で問題とされた記述の一部にすぎないが、訴えは2005年3月17日の一審判決で請求棄却され、矢野側が敗訴した。このパラノイアに関する部分について、判決はこう記している。
 「当該論評の前提たる事実もまた相応の根拠がある」
 つまり、そう言われても仕方のない前提事実があると、司法自らが認定したわけである。
 矢野は自分から裁判を起こしておきながら、「パラノイアと評されても仕方のない人物」であると、逆に司法から“お墨付き”をもらったことになる。
 これは矢野という人物の全体像のごく一面に過ぎないが、これも墓穴裁判の一つの典型例といえよう。だが、そんな司法認定のパラノイアを、わざわざ集会に呼ぶ奇特な人々も存在するようだ。
 余談になるが、この矢野穂積と朝木直子が、仲良く手をつないで歩く姿を見かけた人は市内でも複数存在する。一般的に、大人の男女が手をつなぐのは、“普通の関係”とはみなされない。矢野が母親の明代だけでなく、娘の直子ともできているという噂は、そうした行動から出てきたと思われる。
 上記の市民団体は矢野のことを「パラノイア」と指摘したが、当サイトでは、この人物が欧米の犯罪心理学上で定義される「サイコパス」の言動とことごとく一致するとこれまで指摘してきた。サイコパスは異性関係においても顕著な特徴をあらわすことが多い。
 小生が矢野の男女関係に注目するのは、単なる下世話な興味からでなく、矢野の人間性を形成する顕著な特徴の一つと思えるからである。