日記

2008/11/27(Thr)
被害者を“踏み付け”にしてペテン師を“擁護”する人間の「価値」
 犯罪には被害者と加害者がいる。普通はそうである。その場合、ジャーナリズムにとって加害者を擁護し、被害者を踏みつけにするという行為は「正当」であろうか。よく言われてきたことではあるが、ジャーナリズムは常に弱者の側に立つべきであると小生は先輩ジャーナリストに教えられてきた。
 東村山市議「朝木明代」による万引き事件では、被害者は洋品店であり、加害者は朝木明代である。被害者は一般市民であり、加害者である朝木は公人たる市議会議員だった。事は単純な話である。
 ところがこの問題はこれだけでは済まされなかった。確信犯的な「画策」が裏でなされたからである。朝木が万引き犯人になっては、決定的に困る人物が存在したからだ。朝木の同僚議員で、朝木を陰で操ってきた会派「草の根」の事実上の中心者「矢野穂積」である。この男は、選挙がからきし弱い。少しでも問題が明るみになれば、次は落選しかねないという綱渡りのような日々をその後も送ってきた。当時も危機感は相当なものだったようだ。
 その結果か、朝木明代は取調べを受けた東村山警察署で多くの虚偽の供述を行い、しかもその嘘がはからずもバレてしまい、立件の一歩手前まで行くことになった。
 嘘の供述を行ったという証拠隠滅罪の加害者は、ここでも朝木明代自身である。
 ところがこのような犯罪実行者を擁護し、その偽証行動を“擁護”する「詐称ジャーナリスト」もいる。最低限の取材すらしないし、「思い込み」に沿う事実だけを拾って記事にするだけの人間なので、まともな取材者にははなから相手にされていない。まるで胡散臭い人物と見られている。
 洋品店は、矢野らのペテン行為によって、数件の民事訴訟に巻き込まれ、多額の弁護士費用を支払い、多くの時間と労力をとられてきた。わずか1900円の万引き行為を正当に問題化しただけで、多くの苦労を味あわされた。公人であった加害者らは罪を逃れるためにさらに悪あがきし、被害者に対してさまざまな「弾圧」を加えた。こうした反動的行動は、いまも“ならず者”たちの手によって繰り返されている。民主主義社会のはずの日本国で、こんな理不尽なことがまかり通っていいのだろうか。
 弱者であり、被害者であるはずの「一般市民」をいまだ踏みつけにしようとする“ならず者”たち。それらはいまも公職の人間であり、さらには集団でしか行動できない典型的な「臆病者」たちである。こんな行動にまともな≪人間としての価値≫があるなどと口が裂けても主張できるだろうか。
 日本を愛する日本国民にまじめに考えていただきたい問題である。もちろん外国籍住民も歓迎だ。日本社会には、「ダニ」のような人間が存在するということを――。