日記

2008/10/29(Wed)
「草の根」の闇9  矢野穂積の来歴
 1947(昭和22)年11月生まれ。愛媛県松山市出身。東京外国語大学卒業。学生時代は左翼の活動家だった。卒業後は東京・田無市で私塾を経営し、塾講師として生計をたてる。その間、1975(昭和50)年ごろ、ボランティア活動などを通じて「朝木明代」と知り合う。二人は82(昭和57)年ごろ、東村山駅近くにあった空き家を仲間数人と共同で借りた。86(昭和61)年、二人は「東村山市民新聞」を実質的に運営し始める。87(昭和62)年、朝木明代が初めて東村山市議会議員選挙に立候補、当選をはたす。会派「草の根市民クラブ」を結成し、矢野は経営していた私塾を閉鎖、「東村山市民新聞」編集長として朝木の後方支援に専念することに。2期目の選挙となった91年、朝木明代はトップ当選。3期目の95年もトップ当選。この年、娘の朝木直子と矢野穂積も立候補し、直子は当選したものの、矢野は次点に泣く。このとき直子が当選を辞退し、矢野を繰り上げ当選させた「議席譲渡」が大きな問題となり、市民らが「無効」を求めて起こした裁判は97年8月、最高裁判決で「譲渡無効」が確定、矢野は議員資格を失った。その後、99年、03年、07年の市議選でかろうじて当選。現在4期目。
 矢野自身は「訴訟マニア」として知られ、ウィキペディアによれば、東村山市を相手取った裁判だけで2007年12月までに70件に及び、市が応訴に要した費用(税金)は2400万円にものぼるという。行政を相手どったこれらの裁判だけでなく、矢野は多数の裁判を抱え、市民にも訴訟を起こすなどして、意見封じ目的と見られる言動に及ぶことで知られる。
 議席譲渡問題や朝木明代の転落死事件のおきた95年、20年以上連れ添った前妻と離婚。現在は内縁の妻とされる女性に、りんごっこ保育園を運営させている。朝木明代と知り合って以降、矢野は明代の娘であり、現在、「草の根」の同僚議員である朝木直子の家庭教師をつとめていたとの話がある。直子は幼少・青年期の時代から、矢野穂積を「先生」と慕い、成長したことになる。

 【ウィキペディア】 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E9%87%8E%E7%A9%82%E7%A9%8D