日記

2008/10/08(Wed)
「草の根」の闇7  仮に「朝木明代」が生きていたら
 三浦和義被告が2007年3月17日、神奈川・平塚市のコンビニエンスストアでサプリメント商品6個(計3600円相当)を万引きした事件で、小田原区検は略式起訴(軽微な事件の場合などに裁判を省略して結論を出すこと)し、罰金30万円を命令した。三浦側は即日納付したが、その後、命令を不服として正式裁判を請求し、刑事裁判が開かれることになった。横浜地裁小田原支部で始められた裁判の初公判で、同人は「万引きは一切していません」などと主張し、全面否認に転じた。裁判の証人としてはこれまで、平塚署の捜査員、コンビニ店のオーナー、三浦夫人が証言台に立ち、つづけて今年2月25日に被告人質問が行われる予定であったが、本人がサイパンで逮捕され、裁判は延期されたまま、いまも再開のめどは立っていない。
 同じ万引き事件でも、95年に朝木明代が1900円のTシャツを万引きした事件が裁判になっていたらどうなっていたか。以下はすべて「仮定」の話になるが、あったはずのシナリオを描いてみる。
 朝木明代が検察庁に出頭を命じられていた95年9月5日、本人が素直に万引きを認めれば不起訴(おそらく起訴猶予=罪そのものは存在するが軽微な事件のため立件しない)、否認すれば起訴される方針だったようだ。「草の根」会派のそれまでの行動から推測すれば、その日も否認をつづけた可能性が高い。そうなると当然、略式起訴となるか、正式裁判となっていたはずである。正式裁判になれば、検察側の主張と朝木側の主張が真っ向から対立することになったはずだ。“現職市議の犯罪”として、マスコミも注目し、それなりに話題になっただろう。だが、そこで朝木側の主張を裏付ける証拠は、すでに警察の事情聴取の段階で完全に「破綻」をきたしていた。
 朝木裁判では、上記の三浦裁判と同様に、さまざまな証人が出廷したと思われる。まず、最大の証人は、洋品店の店主であろう。万引き行為を現認し、朝木本人を問い詰めて被害届を出した「被害者」である。さらに、東村山署で朝木本人の事情聴取にあたった捜査員も重要な証人となったはずだ。朝木が応じた合計3回の取調べの中で、2回目になって突然アリバイの主張を始め、3回目になってそれが偽装工作であったことがばれてしまい、朝木本人が「今日の調書はなかったことにしてください」と言わざるをえなかった事実などが、赤裸々に証言されたはずだ。要するに、万引きの罪だけでなく、証拠隠滅罪も問われる結果になっていたことになる。隠蔽工作に矢野穂積が関与していたことも、客観状況からはすでに明らかであった。
 そのほか朝木明代本人、さらに明代側の証人として、矢野穂積や朝木直子が出廷していた可能性もある。彼らは当時すでにホットな問題となっていた議席譲渡問題に加え、新たな「騒動」を引き起こす結果になったはずだ。刑事裁判では、朝木明代が警察で事情聴取された「調書」も、証拠として提出されたはずだった。さらに考えられる証人としては、朝木の万引き行為の際に洋品店の店内にいた証人、さらに明代らがアリバイ偽装工作をしたファミリーレストランの関係者なども想定されただろう。
 いずれにせよ裁判では、「草の根」側がどうあがこうとも、朝木明代の引き起こした万引き事件とアリバイ偽装工作が明確に裁かれる結果になっていたはずである。その結果、「草の根」の信用は失墜し、朝木明代は議員辞職していた可能性が高い。さらに次の選挙で、矢野穂積は当選が難しくなったはずだ。要するにこの会派は、事実上、≪壊滅≫していたにちがいなかった。朝木明代と矢野穂積が8年以上にわたり“二人三脚”できずいてきた信用と苦労は、一挙に、無に帰したにちがいなかった。
 だが、その朝木明代が死んでしまったばかりに、「真相」が公に確定される機会は永久に失われてしまった。逆に、万引き行為を勇気をもって告発し、犯罪事実が裁かれることを期待していた洋品店は、「悪者扱い」されてしまうというあべこべな結果となってしまった。そうした被害はいまも続いている。
 結局、いちばん得をしたのは、矢野穂積自身だった。彼がいまも東村山市議会議員をつづけられているのは、ひとえに朝木明代が死去したたまものである。それにより、万引き事件およびアリバイ偽装工作が公的に認定される機会が失われただけでなく、自殺を他殺と主張し、罪なき教団に責任をなすりつけることで、自らを「被害者」であるかのようにアピールする機会が生まれたからだ。つまり、自分たちの都合のいいキャンペーンを自在に発信できる≪余地≫ができたことによる結果ともいえる。
 その意味では、朝木明代の死を最大限に「利用」した張本人は、矢野穂積だったことは間違いない。