日記

2008/09/30(Tue)
「草の根」の闇3  「自殺の動機」を必死に隠そうとした「矢野穂積」
 事件から13年すぎた今となっては、矢野穂積は朝木明代の死が「自死」であることをだれよりも深く認識していたと思われる。だが、それを認めることは、あれほど否定していた「万引き事件」を一転、認めることにつながってしまう。自らアリバイまででっち上げて懸命に否定してきた「万引き事件」である。それを認めることは、矢野にとって朝木明代の死を無意味なものにしてしまいかねなかった。そのため、自分が道義的にも一切の責任をとらずに済む唯一の方法は、朝木の自死をあくまで「他殺」であるかのように演出し、自分たちを「被害者」としてアピールし続けることだった。
 要するに、彼らのとった戦法は「攻撃こそ最大の防御なり」、を地でいくものであり、その路線はいまもまったく変わっていない。ただし、その「攻撃」の前に“デマ”という文字が付いただけのことだった。
 当時、事件直後から、矢野は喰いついてきそうなマスコミ関係者に率先して「教団謀殺説」を流すとともに、自らもテレビカメラに向かって、大げさに演技をうった。
 その端的な証明が、テレビの前で泣いてみせるといった露骨なパフォーマンスだった。「朝木さんは殺された」と渾身の演技をしてみせた。朝木直子の前でえんえんと男泣きに泣いてみせることなど、「過激なパフォーマー」となった矢野にとって、なんでもないことだった。直子はこうした矢野の姿にすっかり心をほだされ、母親のことを深く思ってくれていると錯覚したようだ。
 矢野にとってこの涙は、明代の死を悼むというより、自分の身を守るためのものにすぎなかった。宇留嶋瑞郎著『民主主義汚染』では、「矢野の涙声の意味」の小見出しのもと、端的にこう指摘している。
 「矢野が万引きのアリバイ工作に深くかかわり、それが最終的に明代の死につながったことを矢野は強く意識していた――。おそらく、矢野はそれをさとられることを最も恐れた、と。明代が死んだことでもとより、矢野にはアリバイ工作とともに、明代の死の真相についても自己利害をかけて隠蔽しなければならなくなったのである。(中略)矢野の涙は明代のためのものではなく、自分自身を考えるためのものにすぎなかったともいえよう」
 矢野は自分で演技するだけでなく、マスコミ関係者に対しても演技をうった。明代の遺体と対面してまもない9月2日の午前6時の段階で、ジャーナリストの乙骨某に断定的に電話でこう告げている。
 「朝木さんが殺されました」
 まだ、自殺か他殺か、状況はよくわからない段階である。ふつうの人間なら、せいぜいこんな感じで伝えるのではないか。「朝木さんが亡くなりました。原因はまだわかりません。突き落とされた可能性もあります」。だが、矢野は≪明確な意図≫のもとに、上記のように断定的に伝えていた。しかもエサを投げてやれば、すぐに飛びついてくるような相手を選んでいる。
 矢野はその後、ヒステリックなほどに「殺された」を連発。それはいまに至るも変わらない。そこにあるのは、矢野の都合のいい感情の発露だけで、それを裏付ける確たる証拠はどこにもない。
 ふつうに考えて、転落現場となった「ロックケープビル」は東村山駅前に近い場所にある。駅前交番から見ると、ビルの入り口は視野の範囲内ともいう。そんな場所に矢野たちは第三者が朝木明代をなんらかの方法で動けないようにして、ビルに拉致し、5階から突き落としたという説をふれ回っていた。午前2時、3時の時刻ならまだしも、午後10時はまだ人通りの多い時間帯だ。しかも東村山市でいちばん目立つような場所である。常識で考えても奇妙な想像と思われるだろう。本当に人を殺すなら、もっと人目のつかない場所で、なおかつ確実に「即死」する方法をとるのではないか。転落したあと、相手が30分も意識のあるような状況では、犯行はすぐにばれてしまう。とんまな「謀殺者」がいたものではないか。どう考えてもありえない話である。
 それでも、1995年という年は、地下鉄サリン事件に伴う宗教法人オウム真理教の問題で宗教団体そのものが悪者扱いされ、坂本弁護士一家の事件も世の関心を集めていた。そうした“格好の土壌”のもとに、矢野らが発信した教団謀殺説はうまく乗った。それでも、「週刊現代」に対しては、矢野らの情報提供が後でやぶへびの結果となる。
 9月1日の晩、矢野は草の根事務所内において、独りさまざまに思考をめぐらすなかで、その後のストーリーを考えたにちがいなかった。絶対に動かせない第一条件は、事件を「他殺」と印象づけること。そのために、あらゆる材料を“総動員”した。
 例えば、矢野らは2003年に発刊した『東村山の闇』という自著でも、モスバーガー関係者が朝木明代に対して「落ちたのですか」と尋ねる場面について、「飛び降りたのですか」などと記している。実際は、「落ちたのですか」と聞かれ、本人は首を横に振って否定していたというのだが、飛び降りた事実がなかったように主張したいかのようだ。
 万引き事件における姑息なアリバイ偽装工作の事実からも、彼らが「教団謀殺説」を印象づけるために、さまざまな「偽装」を行っていたことは容易に想像できる。自分を守るためならどんなウソでも平然とつく矢野穂積の特異な人格から考えれば、多くの事実を捻じ曲げたにちがいない。
 必然的に、草の根事務所内の「残された状況」についても、矢野が都合よく改ざんしていた疑いを前面に立てるべきあろう。カギや靴のヒントがそこに隠されていた可能性は極めて高い。
 転落事件そのものは、朝木明代が自ら起こした事件にちがいなかったが、それが「謀殺説」にすり替えられていく過程は、まさに「草の根」会派が意図的に引き起こしたものだった。いまとなっては≪究極の自作自演劇≫にほかならなかった。「確信犯」の主体は、あくまで矢野穂積であり、朝木直子は“騙された羊”に近かったのかもしれない。(つづく)