日記

2008/09/26(Fri)
「草の根」の闇1  「朝木直子」が知らない母親死去の「本当の理由」
 1995年9月5日、東京・東村山市議であった朝木明代は東京地検八王子支部に出頭を命じられていた。彼女が同年6月19日に市内で起こした「万引き事件」を書類送検されていたため、事情聴取を求められていた。事件そのものは些細な犯行にすぎなかった。駅近くの洋品店で1900円のTシャツを盗んだ「現場」を店主に目撃され、警察に通報されることになったのである。このとき明代が素直に謝っていれば、それから75日後に「転落死」することもなかったはずだ。だが、その後の行動はまったく裏目に出ていった。
 明代は、万引きしたとされるその時間、同僚市議の矢野穂積と一緒にファミリーレストランで食事をしていたので“人違い”であると主張。さらにそれを示す「レジシート」なるものを証拠提出していた。警察の調査ではそのレジシートは別人のものであり、アリバイ工作(偽証工作)だったことが明らかになっていた。警察は7月12日、悪質事案として検察庁に書類送検した。
 このアリバイ工作に密接に関わっていたのが、同じ「草の根」会派の矢野穂積だった。朝木の偽証を陰で主導する存在ともいえた。検察庁は、5日に明代が出頭した時点でさらに否認を続けるなら、起訴する方針を固めていたようだ。さらに偽証工作に関わった矢野穂積も、証拠隠滅罪で立件される可能性が濃厚になっていた。要するに、朝木明代のなした1900円の万引き事件がきっかけとなり、2人は「犯罪者」となることが、ほぼ確実視される事態となっていた。
 矢野と明代は出頭日の4日前にあたる9月1日、東京・表参道の病院に入院していたヤメ検の高田弁護士(万引き事件の担当弁護士)のもとを訪れ、午後2時から3時間ほど話し込んでいる。こうした悲観的な成り行きについて話し合われたかどうかはわからないが、当然、さまざまな話題が出ただろう。午後7時に「草の根」事務所に戻り、矢野は地元の集会へ顔を出すため、ここで明代と別れた。
 矢野の主張によれば、それが朝木明代に会った「最後」ということになっている。その日の午後10時ごろ、明代は駅前の「ロックケープビル」の5階から落下して、死亡する。
 つまり、2人が明代の生前に一緒に会った最後の人物が、この担当弁護士ということになるわけだ。そのため、「万引き事件」の帰趨が、明代の心境に大きく覆いかぶさっていたと見る向きは多い。
 だが、被疑者であった明代が死去したことで、同人が5日に検察庁へ出頭する必要はなくなった。必然的に、この事件において、矢野が証拠隠滅罪や偽証罪で立件される可能性も消失した。つまり矢野は、朝木がこの世からいなくなったお陰で、自らが犯罪者になる事態を免れることができたのである。
 言い換えれば、明代が生きていれば、「草の根」の2人はそろって“討ち死に”する運命にあったところを、一方の明代が犠牲になったことで、もう一方の矢野は救われるという皮肉な結果となった。
 その意味では、朝木明代は結果的に、矢野の“身代わり”になったに等しいとさえいえる。

●本日発売された月刊「WiLL」(11月号)は、11月13日に予定されている土井たかこ判決を前に、早々と謝罪広告(お詫び文)を掲載した。掲載箇所は奥付の裏面に当たる295ページで、「土井たか子氏及び関係各位に深くお詫びいたします」と述べている。土井氏は提訴において、全国紙5紙(朝日、毎日、読売、産経、日経)への謝罪広告掲載を求めており、それがどこまで認められるかが焦点。「WiLL」側は判決前に自発的に謝罪文を掲載することで、“温情判決”を期待したものと思われる。