日記

2008/09/21(Sun)
取材しないジャーナリスト「第2号」
 「デマ記事」を使って教団などを攻撃し、合計5件も不法行為が確定している「乙骨某」というジャーナリストがいる。すでに6件目も最高裁にかかっているので、これが確定するのも時間の問題だ。元脱会者であり、教団には強いコンプレックスをもつ。そのため、教団に関するプラス情報には一切目をつぶり、マイナス情報のみをハイエナのように漁って発信する。見当たらないときは、自ら捏造してまでそれを発信したりするから、上記のような結果を招いている。ジャーナリストとしてははなはだお粗末な≪報道失格者≫にすぎない。東村山デマ事件において、この乙骨某の後に出てきた「瀬戸某」は、さらにレベルが低い。まるで乙骨某につづく、取材しないジャーナリスト“第2号”だ。それでも本人は「ジャーナリスト」を名乗っているから、この世界、何でもありという風潮を強める結果となっている。
 この自称ジャーナリストは、まず自分で取材しない。ネット情報を過度に信用し、たわいもないデマを平気で垂れ流す。「右翼」は気に入らない人間に対しては、決まって朝鮮人などとレッテル貼りすることで知られるが、本当の「ジャーナリスト」なら、戸籍くらいきちんと調査して口にするのが普通だ。事実いまも、元産経新聞記者が同じようなデマを政党の元党首になすりつけ、元党首は裁判所に戸籍を添付して訴えた。それだけでウソは暴かれ、産経記者らはすでに“土下座同然”の結果となっている。
 瀬戸某は、“自分で取材しないジャーナリスト”なので、もともとそんなことはお構いなしだ。たとえ自らの立場と対立するはずの極左政党の機関紙記事であっても、それが事実かどうかを自分のフィルター(具体的な確認作業)で検証することも一切なく、平気で引用する。ところがそれが間違いであると指摘されて、ようやくおとなしくなるといった具合である。
 「ジャーナリスト」という職業は、名刺一枚あれば、そう呼称することができるのでこうした現象も生じるのだろうが、そうした「仮面」もすぐに剥がれ落ちてしまった。多くのブロガーらと論争し、「事実」に拠っていないためか、反論不能に陥ることがしばしばで、自らのブログに書き込まれた反論にさえきちんと対応することができず、≪醜態≫を恐れたのか、今度は「公開討論」を呼びかけるなどしている。
 要するに、事実に基づく論争では勝ち目がないので、「匿名」である相手を公開された土俵の上に引っ張ってきて恥をかかせてやろうといった戦法にしかみえない。こうした同人の言動を、当然のことながら、まともな人間の多くがおかしいと感じ、真剣にはとりあわなくなっているようだ。
 過渡期にある「ネット社会」の一つの現象ともいえようが、大事なのは、「情報」の中身(=真偽)であり、それを発する側の信用性である。その意味で、瀬戸の信用性は地に墜ちるばかりだ。
 結局は、「矢野穂積」という≪虚言癖の持ち主≫の周りに群がった「衛星」の一つにすぎないが、乙骨某にしろ、瀬戸某にしろ、「類は友を呼ぶ」という格言はそのまま当てはまる。