日記

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2008/08/23(Sat)
再び、東村山デマ事件の「真相」――
 1995年9月、ビルから転落死した東村山女性市議の事件の「真相」はどこにあったのか。その重要なカギを持つのは、同じ「草の根」という会派に所属する「矢野穂積」という市議会議員であることは当サイトでも繰り返し述べてきた。
 矢野は一言でいえば“ペテン師”ともいってよい人物で、白を黒、黒を白と平気で言いくるめることのできる特異な人格特性をもつ。要するに、自分の立場などを守るために平然とウソをつくタイプの人間で、このキー・パーソンの存在を抜きに、転落死事件の「真相」を語ることは絶対にできない。
 もし矢野の人格に、「良心の呵責」というものが多少とも宿っていたら、彼はどのように行動したであろうか。仮に他殺を疑うような状況があったとしても、だれが怪しいとか、事件直後からマスコミ相手にけっして口にすることなどなかったはずである。さらに死亡した女性市議の靴が見つからないとなれば、「草の根」の事務所に自ら捜査官を招き入れ、進んで検証させたりしただろう。女性市議の自宅にも、警察捜査を拒否させるようなこともなかっただろう。自ら、警察の事情聴取にも速やかに応じ、事細かに、それまでの経緯などを説明し、捜査の進展を望んだに違いない。だが、結果は≪逆≫だった。
 事務所には一切警察官を立ち入らせず、女性市議の自宅でも同様の態度をとった。警察に出頭したのは、ほとぼりが一段落した10月7日、事件からゆうに1カ月以上すぎた段階だった。そればかりか、矢野と同様に他殺説をわめいた娘の朝木直子は、ついぞ警察署に出頭することはなかった(宇留嶋瑞郎著『民主主義汚染』による)。
 それでいて2人は、教団他殺説を煽るだけ煽ってみせた。「週刊現代」はその言説を鵜呑みにそのままタイトルに使ったお陰で、謝罪広告を掲載させられる羽目になったが、その裁判で朝木直子らは途中から「取材は受けなかった」などと主張を翻すなど、責任逃れのための“敵前逃亡”まで図った。およそまともな人間の感覚からすれば、≪異常≫としか思えない行動を繰り返したわけである。
 いずれも、矢野穂積は、この事件を「教団による他殺」にすり替えなければ、困る状況下にあった。なぜなら、「真相」がバレてしまえば、自分が攻撃され、責任を問われかねないことをだれよりもわかっていたからと考えられる。その後の矢野の一貫した≪異常行動≫は、そうした前提に立たなければ、いずれも成り立たないものだ。矢野穂積は、世間に対し、以下の「疑惑」に誠実に答えるべきである。

 @ 朝木明代が転落死するまでの間、どのような精神状態にあったか。
 A 転落事件の起きた当日、朝木明代の犯した「万引き事件」の善後策を弁護士に相談に行った過程で、朝木を厳しく叱責するなどの暴言や威迫行為をしなかったか。
 B 朝木明代と口論になるなどして、その腕を強く握ることはなかったか。
 C 朝木明代の靴は、事務所内に残されていたのではないか。
 D 上記AからCの疑問に対し、そうでないと主張するならば、その「証拠」は存在するか。

 これらの問いに誠実な回答を求めるのは、同人の「人格特性」から考えて、200パーセント無理である。同人がどのような人物かは、直接、接したことがなければ想像するのは難しい。まさに百聞は一見にしかずだが、たとえそうした人物の「言説」であっても、いまも“鵜呑み”にする輩は依然として存在する。客観的にみれば、矢野穂積という“ペテン師”の言説に躍らされる≪新たなピエロ≫といったところだろう。どうやら、「せと弘幸」という人物もその一人のようである。