日記

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2008/08/13(Wed)
東村山デマ事件の「真相」
 人間を立て分ける尺度はさまざまあろうが、わかりやすい一つの尺度は、「正直な人間」か「平気でウソをつく人間」かということであろう。これは犯罪者、容疑者にもそのまま当てはまる。とくに犯罪にかかわる問題の場合、こうした人格特性は、真実を見極めるための重要なポイントになってくる。
 95年の東村山デマ事件について、都合よく、また疑惑を蒸し返している者たちがいる。先日もこの欄で紹介した脱会者ライターの段勲などはその典型といえるが、この事件も上記の人格特性が極めて重要な意味をもつ事件といえる。
 ビルから転落して亡くなった女性市議・朝木明代は、1900円の衣類を万引きし、しかもそれが同一店舗において初めての行為ではなかったため、警察も悪質な事案と判断した。本人はさまざまな理由をつけて否認しようとしたため、警察は反省が見られないと判断して、地検に送付。数日後に女性市議は検察に出頭することになっていた。
 9月1日、同僚市議の矢野穂積と朝木明代は、病院に入院するヤメ検弁護士のもとに相談に訪れている。その場で弁護士がどのようなアドバイスをしたかは不明だが、完全に否認すれば起訴されることもありうる程度には当然話したと推測される。いずれにせよ、地元東村山でその清潔ぶりで人気を得ていた同一会派の2人は、朝木が万引き事件で起訴されることになれば、完全にその足元を奪われることになりかねない事態を恐れたにちがいない。
 矢野穂積の激しやすい性格を少しでも知る者なら、このとき矢野が朝木を厳しく叱責するなどしたことは容易に想像できる。朝木はこの日の夜、転落死することになるが、矢野の行動にはその後も不可思議な面が多かった。
 朝木の死後、矢野は乙骨某に対し開口一番、「朝木さんが殺された!」と伝えている。
 それでいて、警察官をけっして事務所内に入れようとはしなかった。さらに再三の要請を受けて警察署に事情説明に出向いたのは、事件から一カ月以上もすぎた10月7日のことである(宇留嶋瑞郎著『民主主義汚染』による)。ほんとうに殺されたと思うのなら、ふつうなら、進んで警察捜査に協力するはずだ。ここに、この事件の最大の≪キー・ポイント≫が隠されている。
 その矢野穂積なる人物の人格特性について、冒頭のたて分けでいけば、どちらに該当するだろうか。ほぼ間違いなく、「平気でウソをつける人間」のタイプにほかならない。
 たとえばこの事件の後、創価学会が「週刊現代」の記事を名誉毀損で訴えた。「現代」側は最終的に200万円の損害賠償とともに、謝罪広告を掲載させられる羽目になったが、この記事では、朝木直子(死亡した市議の娘)などの「創価学会に殺された」などといった荒唐無稽な証言がそのまま見出しになったものだった。そのため、講談社とともに、朝木直子らも被告になっていたのである。
 ところが、当初は「現代」の取材に応じていたことを認めていた矢野穂積らは、裁判の途中で一転、「取材を受けなかった」などと180度主張を変えた。こうしたウソは、判決文でも明確に認定された。わかりやすい事例にすぎないが、矢野穂積は、自分の利益のために平気でウソをつく人格特性をもつ。
 だが、東村山デマ事件は、残された事務所内の様子など、小さな事実の断片についての多くが、その矢野穂積の証言に基づいている。それでいて、矢野は肝心の事務所内に警察をけっして入れさせなかった。ふつうに考えれば、そこで都合の悪い事実などが発覚することを恐れたとしか思えない。
 この事件に関する矢野のさまざまな証言や主張を、「正直な人間」のそれとして受け取ると、この事件は決して見えてこない。人格特性の判断というのは、ことほどさように重要な意味をもっている。