日記

キーワード 【 矢野絢也 文藝春秋

2008/07/10(Thr)
ペテン師「山崎正友」にも劣る“口から出まかせ”の『矢野絢也
 この10年ほど“希代のペテン師”山崎正友の行動を見てきた者からすれば、今日発売された月刊「文藝春秋」に掲載されている矢野絢也の手記は、まるでその姿が瓜二つに見える。
 山崎は80年、教団を恐喝し除名処分となったあと、週刊誌上に「正義の告発者」として登場し、事実と虚偽を巧妙に折り混ぜてキャンペーンをはった。自らいつでも国会に出て行くことを公言し、教団トップの証人喚問を求めた。現職時代に言っていたこととは全く反対のことを主張し、教団を攻撃した。
 いまとなっては、その本質は、同人が「自分の罪」を隠すためのカムフラージュとしてそのような行動をとっていたことが明白となっている。つまり、弁護士として顧問先を恐喝するという空前絶後の犯罪行為をおかし、さらに巨額手形詐欺などの経済事犯の数々、さらにこれらの事実が発覚・確定されることを恐れ、逆に、相手に罪をなすりつけることで、自らを守ろうと本能的に動いたからにほかならない。だが、この間の矢野絢也の動きもまったく同様のものに映る。
 国会議員としての現職時代には、政教一致ではないとさんざんに主張していた当人が、引退後にまったく反対のことを言い出す。さらにはあたかも「正義の告発者」のような顔をして、マスコミ誌上に登場する。いつでも国会に出て行くとうそぶき、教団を揺さぶろうと試みる。いずれもひとつ残らず、過去にペテン師「山崎正友」がやってきた行動そのものであり、結局はそれらの“二番煎じ”にすぎない。
 では、そうした行動の陰に隠されている「真実」とはなにか。
 矢野絢也が衆議院議員として、あるいは公明党の書記長として20年以上をすごしながら、一度も政権をとることもなく、あるいは大臣の椅子におさまることもできなかった事実。さらにはそれどころか、わずか2年半の委員長しか体験できなかった“情けない事実”、公明党の7人の歴代委員長のなかで唯一自身の金銭スキャンダルという不祥事で引責辞任せざるをえなかった“お粗末な事実”。その結果、議員引退後に後身に譲った最初の総選挙(93年)でも告示日に応援演説に出かけることもなくゴルフ場で遊興していた事実など、彼にとっての≪不都合な真実≫は挙げればキリがない。
 つまり、矢野はそうした自らの「真実」を受け入れることができず、後輩をやっかみ、自らの≪情けない姿≫を逆に“糊塗”するために、上記のような行動をとっているとしか思えない。要するに、持って行く方向がそちらにしか見出せないのだろう。
 だがそうした同人にとっての≪不都合な真実≫の数々は、自身の手記のなかには一切書かれることはない。なぜなら、世の中に自身が「正義の告発者」として映らなければ、信用してもらえないということを本能的に知っているからだ。
 手帳をもっていかれたという彼の主張も、考えてみればまるで子ども騙しの主張に思える。それならなぜ、自身で「念書」までも作成し、署名・捺印までしたのか。署名・捺印の「法律的意味」の重さを、議員経験者が知らなかったと言っても世間には通じないのではないか。仮に命の危険を感じたとか、手帳を強奪されそうだったというような彼の主張が本当なら、そんな念書を用意する必要も、署名・捺印する必要もなく、「帰ってくれ、迷惑だ」「二度と来るな」と言えばそれで済んだ話である。さらには女房がキャーと悲鳴をあげたなどの≪全くの虚構≫を敗訴した裁判ででっち上げる必要もさらさらなかったはずである。彼の主張は、世間一般の常識からすれば、まるで駄々っ子のそれにしか映らない。
 さらに公明党の太田昭宏・現代表に批判されたことが相当に気になるのか、「私と学会との争いに公明党が口出しすること自体、政教一致」などと批判してみせている。だが、公明党の「原点」ともいうべき立党精神に基づき、まるで“模範”にできるはずもない≪不祥事だらけの、情けない元委員長≫について、現代表が批判的に論評することのどこが政教一致なのか。公明党議員は最後の姿で決まる、こんな情けない人間は党から永久に叩き出せ、と言うくらいがむしろ普通ではないのか。
 私個人は、太田代表が、今後二度とこのような“恥ずべき代表者”を公明党から出さないことを言明し、この男についてもっと手厳しく批判を加えるべきだと思っている。
 冒頭の山崎正友はそれから20数年後の今日、自身の本質が世間にバレてしまい、ごく少数の例外を除いて、もうだれも相手にする者はいない。「ペテン師・詐欺師」であるという“真実の姿”が、世間でもほぼ共通認識として定着したからである。現在、まったく同じ軌跡をたどっている矢野絢也も、今後同じ過程を歩むことになるだろう。ただしそこに至る期間は、山崎よりもずっと短くなるはずだ。
 「マスコミへの受けを気にしながら訴訟をすすめると、ろくなことはない。訴訟は、知力をもって行う“格闘”である」とは、山崎自身がかつて自著に書き残したもっともらしい言葉である。矢野はそんなこともわかっていない、“ペテン師”以下の人物のようである。