日記

2008/05/07(Wed)
“第二の門脇”こと「草野敬」デスクのお粗末
 「週刊新潮」と乙骨某が4月24日、一審に引き続き二審の福岡高裁でも完全敗訴した裁判で、担当デスクの「草野敬」の取材のお粗末ぶりが注目を集めている。問題となった特集記事では、原告の金銭問題と女性問題らしきものを指摘していたが、いずれも核心部分で取材したのは元学会員の男性のみ。しかも直接取材したわけでなく、電話取材だけだった。一方で、関係者への裏づけ取材はほとんどまったくしないまま、特集記事として執筆し、大々的に全国に紙面をばらまいた。だが、裁判になってみると、なんらの真実性も立証できず、さらには裏づけ取材をほとんどまったくといっていいほど行っていなかったため、真実相当性で“救われる”こともなく、当然ながら完全敗訴し、典型的な「デマ記事」と認定された。その結果、230万円の賠償命令だけでなく、謝罪広告の掲載までも命じられた。さらに記事の論調に沿ってコメントを寄せた乙骨某も55万円の連帯責任を負うことになった。
 この記事を作成した草野敬という人物は、記者としてはほとんど「無能」に等しい。要するに、情報源(一方の当事者)の噂話のみを根拠とし、反面取材をまったく行った形跡がないからだ。チーム取材では、3人ほどの取材記者(データマン)を配下に付けられていたにもかかわらず、有効に活用した形跡もない。最初から負けて当たり前とも思えるような、お粗末な取材・執筆内容だったのである。
 仮にも報道媒体において、一方当事者の言い分だけを鵜呑みにし、それだけで記事にできるのなら、単なる個人の“プロパガンダ御用誌”にすぎまい。だが、こうした手法はかつて、同誌に在籍した門脇護こと門田隆将というライターとも「共通」する手法として興味深い。
 要するに、取材者としては、最低レベルといってよいほどの「お粗末さ」なのだ。これが「週刊新潮」に流れる≪確たる伝統≫と呼べるものである。