日記

2005/02/23(Wed)
「早川清」が育てた“スター・ライター”「一橋文哉」の正体
 『週刊新潮』編集長の早川清氏は、1978年(昭和53)年に入社後、93年までの15年間、同編集部に属したあと、93年4月から月刊誌『新潮45』に在籍していた。そこで7年ほどを過ごしているが(うち2年は編集長)、その間、著名な“スター・ライター”を発掘・育成してきたことはあまり知られていない。
 その最大のものは「一橋文哉」なる、その名では実在しない、架空名称のライターの存在であろう。すでに新潮文庫でも5冊の著作があり、新潮ノンフィクションにおいては売れ筋になっているようだ。かつてこのライターについては、休刊した『噂の真相』誌が二度ほど取り上げたことがある。
●『新潮45』のオウム・ウォッチャー 一橋文哉の盗用常習で発覚した“正体”(96年7月号)
●『新潮45』を舞台に活躍するスターライター 一橋文哉のノンフィクションの手口――世田谷一家惨殺事件ルポに見る過剰な創作表現と盗作疑惑、そしてその“正体”とは‥。(2002年7月号)
 いずれも一橋の記事に対し、“盗作疑惑”を指摘したものだが、『噂の真相』誌で指摘された「サンデー毎日にいたH記者」なる人物がだれのことを指すかは、業界内ではさまざま取りざたされてきた。
 だがこのほど、一橋が執筆した『オウム帝国の正体』(2000年7月刊)なる書物に対し、カザフスタン国籍の女性らが名誉毀損で訴えていた民事裁判で、1月末、東京地裁は「請求棄却」の判決を出した(その後原告側は控訴)。注目されるのは、判決文の最初のページに記載された次の文字である。
 「一橋文哉こと広野伊佐美」
 広野氏は元毎日新聞記者で、『サンデー毎日』編集部に所属したこともある。つまり、「H記者」に該当する人物だが、毎日新聞東京本社の住所が「一ツ橋」なので、そこから誕生した筆名との説を裏付けた格好である。上記の裁判で、被告の一橋本人は出廷せず、かわりに証人として出廷したのが、なぜか週刊新潮の「早川清」と「竹中宏」の両氏だった。早川氏は尋問において、一橋の本名は「一切明らかにしていない」「個人名をあげることができない」と繰り返し、自身が、“一橋文哉取材班”なる社内外の複数の者によって構成される“秘密グループ”の『とりまとめ役』であることを明らかにしている。
 さらに裁判官から、「広野さんが執筆にかかわったということでよろしいですか」と尋ねられると、早川氏は「そのことについては私どもは争いませんし、お答えは控えさせていただきたいと思っています」と回答。同じ日(2004年10月1日)に出廷した竹中氏は現在、週刊新潮編集部に所属する記者だが、フォーカス編集部に属した時代、“一橋取材班”の一人であったようである。
 いずれにせよ、「一橋文哉」は、かつて『噂の真相』誌で指摘された“盗用常習”なる重大疑惑に対し、釈明したことは一度もない。≪新潮ジャーナリズム≫としては、“名折れ”の事態ではないのか。