無罪判決から58周年

池田SGI(創価学会インタナショナル)会長が1962(昭和37)年の今日、大阪地裁で無罪判決を受けた日から58年となる。57年に行われた参院大阪補選で前年に引き続き選挙戦の指揮をとった池田青年室長は同年7月3日、選挙違反の容疑で突然逮捕される。その刑事裁判は会長就任した60年以降も続いたが、62年1月25日、一審で無罪判決が出て、そのまま確定した。実はこの年、つまり昭和37年は、公明党にとっても重要な意味をもつ。同年1月17日、公明党の前身となる政治団体「公明政治連盟」の記者会見が行われたほか、池田会長は無罪判決の翌日に行われた本部幹部会の席上、公政連の結成を初めて会内向けに正式発表したからだ。さらに7月に行われた参院選挙で勝利を果たし、秋以降、公明政治連盟の大会を各方面別に連続して開催していった。 最初に開かれた東京の大会で、池田会長は、公明党の永遠の指針となる「大衆とともに語り、大衆のために戦い、大衆の中に死んでいく」という言葉を残した。場所は東京・豊島公会堂。62年9月13日のことである。 公明党には前史となる「公明政治連盟」の時期が3年、さらにその前の創価学会文化部時代の7年、計10年の助走期間が存在する。その意味で同党は現在55年+10年の月日をへた計算になる。 上記のように、池田会長の無罪判決と公明党の歴史は、直接的に因果関係がある。仮に教団が政治に出ていなければ、当然ながら大阪事件は起きていなかっただろう。権力の魔性との激しいせめぎ合いの中で、大衆とともに歩むべき公明党が生まれたあかしである。

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