波田地の虚実(上)プライドだけ高く、信心は弱い

 波田地克利が創価学会を訴えている裁判で、本人尋問が行われたのは今年の4月26日のことだった。東京地裁408号法廷の狭い傍聴席を埋めたのは10人ほど。黒縁メガネに白髪まじり、年相応ながらやけに太った姿が目に入る。2時間近く行われた尋問の中で、印象に残った場面を一つだけ挙げよう。
 それは1991年4月、創価学会の学生部に在籍していた波田地が、金褒賞(教団内で功労のあったものに与えられる称号)を表彰されたくだりだ。このとき同人は、「副会長がまだほとんど頂いていない時代に、池田名誉会長から(直接)頂いた」と自慢げに語った。
 第二次宗門問題の際、同人が教団側で活躍したことは事実で、その際、副会長クラスでもまだほとんどもらっていない≪特別の賞≫をオレは頂いたんだという自慢めいた話だった。実際、本人にとって、その頃が人生の絶頂期だったということだろうが、「これから(=未来)」の姿勢が常に大切となる信仰の世界において、過去の栄光にすがる後ろ向きな姿に、強い違和感を覚えたのも事実である。
 例え過去の宗門問題で一定の功績があったとしても、現実には、同人は自ら日蓮正宗の阿部日顕などを訴えた民事裁判で、当初意図したような「勝訴」を得ることができていない。阿部日顕や妙観講講頭の大草一男の盗聴関与の事実を裁判所に認めさせることができなかっただけでなく、そうできなかった原因について、自身の責任はすべて棚上げし、いまだに他人のせいにばかりしている。
 仮にまともな信仰者なら、「自分の祈りが足りなかったからこうなった」などある程度は自省するものだが、同人の口からそんな殊勝な言葉が飛び出すことはまずありえない。なぜならそれが同人の信仰観であり、物事の原因をすべて自分以外の「環境」に転嫁し、自己責任とするだけの基盤が内面に存在しないからだ。所詮は、“未熟な信仰者”の形であり、特に≪退転者≫に共通する姿ともいえる。
 比較するには波田地は小物すぎるが、晩年の10年ほど私も取材で関わることになった元弁護士・山崎正友も、その点では全く同様だった。自分が不利益を被っているのはすべて他者のせいであり、相手への憎悪が募り、結局、“逆恨み”の人生で終わってしまった。彼らの辞書には「反省」の二文字が欠落しているため、結局は除名されるような結果すら生んでしまう。また、除名された後も、すべて相手への批判を繰り返すだけだ。そんな姿は、「山崎正友」という過去の≪大先輩≫がいるので、我々としては特に驚く必要もない。

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