「正統な日本人」を自負するグロテスクな日本人たち

 「反日」とか「内なる敵」とか「日本を貶めるな」などと叫んでいる右派文化人の言動を見ていると、ある前提に思い至らざるをえない。彼らは自分たちこそ「正統な日本人」「由緒正しき日本人」と自負していると思われる事実だ。彼らにとっての「正しい日本人」象とは何だろうか。日本の誇るべきものは、万世一系の天皇の存在であり、それを支える宗教は神道であるという考え方だ。必然的に靖国神社を肯定・崇拝する。その延長として、昭和の戦争における日本軍の蛮行を過小評価し、真実と正面から向き合うという姿勢からかけ離れる。従軍慰安婦問題では多くの女性が意に反して慰安婦にされた事実を誤魔化し、強制連行はなかったなどの矮小化でごまかす。南京虐殺も必死で否定しようとする。さらに日本民族は韓国や中国に比べて優れた民族であり、その日本サマに対し、韓国・中国はいつまで過去の戦争責任で嫌がらせを続けるのかケシカランといった様子だ。そこに見えるのは、どこまでいっても、上から目線の尊大な心情であり、派生する行動である。以上はあくまで主観をまじえた解釈といってよいが、大きく外れているとも思えない。さらに言えば、彼らの信条を前提にすれば、神道を信じない日本人など、「正統な日本人」とはみなされないだろう。つまり、キリスト教徒も、神道否定の仏教徒も、その埒外に置かれる。さらに自分たちの思想からはみ出た者は「敵」という考え方は、はなはだ狭量であり、せせこましい。こんな日本人の姿が、世界に誇れる姿であるわけがない。具体的にいえば、櫻井よしこ、門田隆将などに象徴される右派文化人の言動こそ、「狭量な日本人」の典型(見本)なのである。日本人の多くがこのようなせせこましい人種と思われるのは、心外な人も多いだろう。それらは日本人のごく「一部分」にすぎない。

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