伊藤律の死去から30年

伊藤律が亡くなってちょうど30年の日を迎える。1989年8月7日、76歳で東京で亡くなった伊藤は、戦後の日本共産党の若きプリンスといわれた人物で、戦後最初の同党党首であった徳田球一を右腕として支えた。その後の同党で例えると、宮本顕治を支えた不破哲三、不破を支えた志位和夫のような感じかもしれない。ただしこの人は同党ならではの陰湿な裏切りとともに、中国の牢獄に20年以上も閉じ込められた。直接の責任は野坂参三、袴田里見らにあったとされる(いずれも別件で同党から除名)。伊藤が獄につながれたのは1952年から帰国する80年までの27年間だ。南アフリカのマンデラ元大統領も同様の年月、獄中につながれていたと記憶する。日本共産党内の路線をめぐる派閥闘争に敗れた余波を受けたといえばそれまでだが、伊藤は日本に戻ってからの数年間、自身に起きた事実を関係者や自身の筆で残し、さらに徳田球一をめぐる真実を残すために徳田の全集発刊にも尽力した。日本共産党にとっての「都合のいい事実」のみが残され、真実が闇に葬り去られようとしていたからである。いまも同党において、徳田球一や伊藤律の名は、半ばタブーに近いものがある。

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